How To Dress Well『"What Is This Heart?"』

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How To Dress Wellことトム・クレルが前作『Total Love』から2年ぶりにリリースした3rdアルバムです。わりとコアな音楽ファンが局所的に絶賛していたこと、実際にアルバムがとても良かったので呼びかけてみたら合評が実現しました。今まで音楽とは違う形でとてもダンサブルでもあり、同時にとても感動的なアルバムだと思います。この記事がHow To Dress Wellの音楽に触れるきっかけになれば幸いです。(ぴっち)

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「この時代の」という枕詞は必要ない。これはクラシックだ。ソウルという言葉に世俗を求める必要もない。ある魂の揺らぎの歌という意味においては。

How To Dress Wellことトム・クレルは自ら発する光を、ウィッチハウスという闇のヴェールに包みながらもヒリヒリするオーバーコンプのほつれを通すことで、スリットによる干渉縞の如く未踏のコントラストを獲得していた。1stアルバム『Love Remains』のことである。TriAngleのレーベルメイト達が漆黒の水底に耽溺する過程において、タナトスが逆照射する淡い光を見出していたのに対し、彼の特異な方法論はひび割れた闇の帳から掠れる光を紡ぎ取り、神経質な鍛冶屋よろしく熱した鉄槌で鍛錬するようなやり方に見えた。

打ち砕かれた胸の破片を拾い上げることが主題と思しき2ndアルバム『Total Loss』にはしかし、喪失と同様に驚くほどの清澄が張り巡らされていたのである。あらゆるものが消え失せた平地に訪れる黎明とでもいうのか、そこに在ったのは薄墨の影を食むかそけき光ばかりだ。心象風景を揺蕩う冷気のアンビエンスは荒涼では決してなく、むしろ達観か諦念の顕れを聴き手に勘ぐらせるレベルにおいて、ある種の平穏が楽曲を支配していた。その穏やかさに私は、彼自身が追憶と整理を執行するための空間を確保する目的で歓びの唄のオーリオルを借景しているのでは、という疑念すら覚えたのだ。残響のニュアンスを帯びて震える大気と共に均質化したトムの声は、剥ぎ取られた愛の写像と重ならんとするかのようにひたすらアトモスフェリックで赤裸裸で、そしてエモーショナルであった。

そうした歩みを経て産み落とされた3rdアルバム『"What Is This Heart?"』は過去の作品に触れずとも、精巧な構造のトラックと力強い歌の織り成す綾に酔える傑作である。冒頭の不協和なピアノ・フレーズと歪んだ「Face Again」からは不穏な匂いが漂うが、全体的に沸き上がるのは正の感情であり、それを時には噛み締めるように、時には発散するように歌い上げる姿に今一度シンガーとしての彼の神髄が確認される。音の作りはミニマルではあるが削ぎ落とされたという感覚は皆無であり、かと言ってトゥーマッチな装飾も一切無い。近しい作風として往々に比較されるDevonte Hynesが享楽に、Aged兄弟が崇高にメーターを振り当てられるとするならば、トム・クレルの今作は図らずも両者のアウフヘーベンの様相を呈しているとは言えまいか。自分はそんなトラックメイクにはっと息を呑みつつも、彼の歌ばかり捉えてしまうことに気づいた。

そう、熱量のあるエモーションを隠さないにせよ、今まで音の暗幕に同化していたトムの声がいよいよ表舞台に立ち上がり、スポットライトを浴びて煌めいていることが何より吃驚した事実なのである。自らのアイデンティティを意識的に獲得したが故に込み上がる自信の発露、とでも見受けられそうなほどに。アコースティックギターの爪弾かれる「2 Years On (Shame Dream)」で予感されるニュアンスに回答を与えるかの如く、続く「What You Wanted」や「Repeated Pleasure」のしなやかで溌剌としたファンクネスが内面を少しずつ解してゆく。小気味良いグルーヴに乗っている内に辿り着く「Words I Don't Remember」の静寂を通過すると、以降はエラン・ヴィタールという言葉すら援用したくなる躍動がその流れに加わり、ゴスペルの忘我をも内包した「House Inside (Future is Older than the Past)」での華々しいフィナーレで終幕する頃には、こちらの魂の揺らぎを禁じ得なくなっている。

日々更新される、泡沫たるタームの枠にあらゆる音楽が組み込まれ、連関され、位置づけられて語られるこの時代。この3rdもそのような手続きに絡めとることは出来ようが、煩瑣な蜘蛛の糸を振り払うほどに立ち上るこの力強さは何だ?美事に胸を突き抜けてゆくこの感覚は?耳を鋭敏にし、意識を集中せずとも皮膚感覚で認められるほどに確かな心の輝きが終始貫かれているではないか。

どのようにしてこの境地に至ったのか、彼の軌跡を知る者にはより感じ入る部分があるだろう。ジャケットも彼のポートレイトそのものであり、自らの不在を暗示するかのような風景、無機質に横たわる頭部の石膏をあしらってきた過去作と比較すれば、明らかにトムの態度に変化が現れたことが分かる。レンブラントを彷彿とさせる陰影の写真から、歴史的作曲家の絵姿の連想を見る者に望んでいる、とするのは穿ち過ぎだろうが、本作が昨今使われる意味でのクラシックであることに疑うべき余地は無い。

壊れる心、世界、近しい人。それら歌の根幹を占める要素が変わることは無かったが、対峙する彼の構えは刻々と変遷していた。そして今作に冠される"What Is This Heart?"という、内省とも受け取れる言葉についてだが、かつて愛の残存(あるいは非残存)を割れた闇から零れる光に求め、穴の空いた心が霧中に溶け込み拡散したその先、確かな実感をもってアイデンティティを獲得した/してしまった容赦ない喜びに、自らの精神の所在を見失い混乱している、という含みがあるのではないだろうか。いや、「混乱していた」と言うべきかも知れない。何故ならトムの提示してきた表題は作品を作り始めるゼロ地点において「かつてそうだった」のであり、制作を通して乗り越えられるべき状態を指すからだ。そのことを承ければ即ち、今作で表現されるのは「”Here Is My Heart!”」あるいは「Eureka!」ということにならないだろうか。そんな憶測の一つすらしてみたくなるのである。

 

 

KV(@sunday_thinker

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「Repeat Pleasure」

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How To Dress Wellの前作『Total Loss』の発売後、2013年の3月13日の渋谷O-NESTに僕は居た。そう、How To Dress Wellの来日公演を見に行った。

今でも思い出せる、ビジュアルに海をモチーフとした80〜90年代のチープなCGは幻想的で、シーパンク的な映像に照らされながら、How To Dress Wellことトム・クレルは2本のマイクを使い分け、その声色で一つの空間を浮かび上がらせていった一夜だった。

体を大きく動かし、時にマイクスタンドにすがりつくように声を上げる、薄手の白いシャツには汗がどんどんと染み付いていき、彼の瞳はどこから遠くを見るようで、まるで心ここにあらずといった面持ちにも見えた。しかし彼は唄を歌っていた、それも単に「唄を歌うということが本当に好きなのだ」という域を超え、まるで、何かが潰えてしまいそうなの状況を必死に止めようとしているかのような、ある種の執着さをただ強く感じさせるボーカリズムだった。

傑作『Total loss』より2年ぶりのアルバムとなる今作『What is this Heart』の1曲目、「2 Years On(Shame Dream)」は「We were gonna grow old(私たちは年老いていこうとしていた)」から始まる。死にゆく祖父と少年少女を描いた短編映画風の3部作MV「Repeat Pleasure」「Face Again」「Childhood Faith In Love」を見れば、愛と死と喪失をメインテーマに据えているのがわかる。

これまでポスト・ダブステップを志向してきたトラック、例えば前作の「& It Was You」や「Runnning Back」のようなグルーヴ感は、今作では「Childhood Faith in Love 」でのトライバルなビート、「Very Best Friend」のアーバンなR&Bのテイストなどに感じられるが、その他の曲ではそういったグルーヴ感は減退している。正対するように、甘くメロウでゆるやかに流れるメロディが聴く者の耳を離さず、しかもそれは聴くものをチルアウトへと導くのではなく、一人の男の憂いに光を当てるように紡がれる。

しかも、1stアルバム『Love Remain』や前作では強い個性を放っていたボーカルやサウンドへのリバーブは少しだけ減退し、代わりに彼の唄声はかなり肉声に近くなり、コーラスには不気味なスクリュー・ボイスが入ることで、今作は彼の歌声とその言葉を奇妙に浮かび上がらせる。ついに、彼の歌心が堂々と主役を張った作品になっているのだ。

「この心は何だ?」という自問をタイトルに掲げた今作に、明確な答えを彼を与えては居ない。《Everything must change and everything must stay the same(全てが変わっていかなければならず、全ては同じのままでなければならない)》と歌ったのは「Childhood Faith In Love」、こんな二律背反を唄う彼の歌声は、今作のジャケットの彼の表情の通り、憂いを帯びており、今作をまさに代弁しているのだ。

 

 

草野(@grassrainbow

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「Face Again」

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そもそもインディR&B(もしくはオルタナティR&B)とはそもそも何なの?という話から。大体意味がわからなかったんだよ。そもそもR&Bというジャンルから想像できるのは、マライア・キャリー安室奈美恵、それから初期の宇多田ヒカルのようなゴージャスであったり、時にはヒップと呼ばれるような音楽だったのね。だからThe Weekendが出てきたあたりからわけがわからなかった。つまり日本のテレビでもCMが流れ、来日していいともやMステに出るようなR&Bのスターたちと、The WeekendやFrank Oceanのような内省的でダークなR&Bは全然重ならなかったのだ。でも去年くらいからインディR&Bという言葉が出てきて「そういうことか」と。

つまりインディR&Bは豪華絢爛なラーメンR&Bに対する出汁みたいなものだと思うのね。世界レベルで大々的にプロモーションを組み、大きな会場でバリバリ歌い、大勢のお客を感動の渦に叩きこむのが今までのR&B。そうではなく自己と向き合い、自ら手を伸ばせる範囲で「個」の物語を必死に紡ぐのが、今のインディR&Bだと思う。それはインディR&Bという枠組みに留まらず、Bon Iver、James Blake、Rhye、Antony and the Johnsonsといったアーティストとも重なる動きでもある。謂わばスープで勝負しているのが彼ら。

今回聴いたHow To Dress Wellのアルバムはとても感動的だった。革新的だとか、踊れるとか、哲学的とか、様々な切り口で語ることができるけど、「感動」という言葉で表すのが一番適当だと思う。つまりアルバム一枚を用いて、しっかりとトム・クレル本人の物語を提示していた。

彼は歌う必要がある。最初は静かに一音一音必死に音を紡ぎ、徐々にステップが揃い、そしてプレッシャーや重圧から解放される。正直序盤はだるい。でもいつの間にか「踊れる」ことさえ通り越し、ただ気持ちよくなる。

あまり宗教の「救い」みたいなものは信じていないけど、トム・クレルに身を預けるのは少しアリかもしれない。神秘的と言える解放感がある。そういう妙な結論に行き着きそうなのが、自分でも怖い。

 

 

ぴっち(@pitti2210

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「Childhood Faith In Love」