椎名林檎『至上の人生』

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椎名林檎の新曲なんだけど、発表当時は意味不明だった。ドラマの主題歌として正しいのかもわからなかった。そして何よりも椎名林檎の新曲としてどう反応すればいいのかわからなかった。サウンドは僕らが待ち望んでいたロック。「自由へ道連れ」や「NIPPON」のようなアップテンポナンバーではないが、ジャズやファンクと混ざっていない正真正銘のロック。「ギブス」以来15年ぶりではないか。

それなのにしっくり来ない。あまりにさっぱりしすぎていないだろうかと思った。ドラマ側の要請に応えすぎたのではないかとも。

 

それからしばらく経って「ギャンブル」を聴いていた時にすべてわかった。これはラブソングではないのだと。

出くわせた運命を思うほど
その手の体温が鼓動が
点っていくんだ
至上の安らぎ
あなたは生きている
ああ、あいしている
この静かな瞬間よ止まって
これ以上は決して望んでいない(至上の人生)

誰かを愛するとき、時間は歪みます。そうして我を忘れた果てには、ほんとうの自己との邂逅があります。(本人コメント)*1

ヒントは散りばめられていた。それどころか本人が直接言及していた。これはラブソングではない。のろけているわけでもない。誰かを愛することで変化してしまった自分と向き合う歌なのである。今までとは違う自分と出会い、世界が音を立てて崩れ去ることを描写した曲なのである。

 

では、なぜ「ギャンブル」を聴いていた時にそれに気づいたのか。それは愛する人を失ってしまった時に変化してしまった目の前の世界について歌っていたからだ。

帰る場所など何処に在りましょう
動じ過ぎた
もう疲れた
愛すべき人は何処に居ましょう
都合の良い答えは知っているけど(ギャンブル) 

2000年に発表した『絶頂集』収録の「ギャンブル」で喪失の風景を歌い、それから15年後にすべてを獲得した者の喪失の恐怖を歌う。そんな筋書きはただのこじつけ。それはわかってる。ドラマの要請に応えることで生まれたに過ぎない。

しかし「至上の人生」と銘打ちながら、このあまりにシンプルすぎるサウンドはどうだろう?人生とは幸せに近づく道のりなのではないのか?「そんなわけないじゃん!」とあの頃の椎名林檎なら一笑に付すだろう。

目の前の幻想が一気に崩れ落ちる。この感覚は久しぶりだ。「あの頃」はもう過ぎ去ってしまったが、再びエッジの効いた椎名林檎が僕らの前に現れた。何かが始まろうとしている。今はそんな期待が止まらない。

 

 

ぴっち(@pitti2210

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最初の1小節目、Aのコードから入り、2小節目に入ってFM7へと移行する。メジャーキーからほんの少しの暗さを足したコード展開、Aではなっていた明るさが、FM7の暗さを足すことによってより映える印象的なラインから、F#m7からFM7に戻る進行でゆらめきと明滅を明らかにしながら、Gコードで再度メジャーキーへと移って明るさを取り戻す。

このイントロのライン、そしてこのギターの単音ソロと裏で鳴るギターサウンドの厚み、ミドルテンポでキープされることで、椎名林檎流の"エモいロック"が表出した。

騒音と静音の間をゆらぎ、ギターサウンドが渦になって聴くものをきつく抱きしめ上げる。そんなテクスチャーがオルタナティブロックのベーシックライン、いや邦楽ロックのベーシックラインとして現れてもう何年くらいになるだろう。

遠き自由の国アメリカでふっとした拍子で起こったこの変化を、太平洋を隔てた日本人は無意識に無自覚に「ロック」として受け取り、発散し、ドラムとベースサウンドによる「ロール」を忘れた。

はっきり言えば、椎名林檎はこれまでの活動を通して見る限り、この「ロックンロール」から「ロック」への変化を、かなりビビッドに受け止めているミュージシャンだと思う。ソロ活動並びに東京事変においてマスター・オブ・ベースともいえよう亀田誠治の起用したのは意識的な受け止めであり、解散後でのポップ・ミュージック全般に向けた過剰な接続はこの変化から意識的に目を背けたようにも見える(かといって放棄するでもなく、彼女の音楽におけるベースサウンドはあまりにも複雑な運指によって支えられている)。

1番AメロBメロではドラムが、2番AメロBメロではベースが、このサウンドの静けさのなかでミドルテンポの鼓動を打つ。サビになれば炸裂するギターリフは生徒が先生に教わったかのように教科書通りで、愚直すぎるほどに真っ直ぐな「オルタナティブ・ロック」サウンドが組み立てられる。これまでの彼女を知る人、椎名林檎サウンドに触れてきた人間ならばシンプル過ぎると断罪するのだろうか。むしろこう言ってもいいかもしれない、椎名林檎が戦闘服を脱ぎ捨てた一曲だと。

今作「至上の人生」、「人生」をタイトルに上げながら歌詞の中では「人生」という言葉を使っていない。代わりに纏わる言葉を運用しながら「人生」を象った一作だ。

彼女は唄う《至上の安らぎ/至上の苦しみ》と。つまり人生は安らぎでも苦しみでもあると。だからこそ彼女《この静かな瞬間よ止まって》《このあえかな(空疎な/儚い という意味)実感よ続いて》と歌い、そして《これ以上は決して望んでいない》と歌う。生きとし生ける物は全て滅ぶ。彼女が唄うのは成就しない望みであり、それでもなお歌わずにはいられないのだ。

お願い支えていて何処か
危なっかしくて怖いの
隠した熱情が

僕にはこの曲が、椎名林檎流のブルース・ソングとして響く。踊るには洒脱すぎて、自分の言葉を映えるようにするにはスマートでシンプルで最低限の曲展開を求めつつ、詞に込められたエモーショナルを爆発させるためにエレキを求めた。ここに「ロール」の有意性はないと見たのだろう。「ロックンロール」から「ロール」が割かれた時、そこには「ブルース」が生き残るように。

譜割りを間違えれば読み解けないように言葉を配置する、巧みな詩情と技法が詰まった椎名林檎流の哀歌。これまで彼女の声に宿っていた邪さや艶やかさは解け落ち、非常に素直な表情を見せる歌声と彼女の言葉に真正面から向き合える。

誰かを愛するとき、時間は歪みます。そうして我を忘れた果てには、ほんとうの自己との邂逅があります。(本人コメント)*2

愛しすぎたゆえに時間を止まれと唄う、その本能が無理だと理性に諭されたとき、自らを知る、彼女は今、人生を想っている。

 

 

草野(@grassrainbow