わたしたちが浜崎あゆみに共感できなくなった理由

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今もなお浜崎あゆみは孤独である。端から見ていると「なんでも持っている」はずなのに、「なにも持っていない」それでいて「君がうらやましい」と歌う。余りある自己愛におぼれた人間だとレッテルを貼られる一方で、常に冷徹に自分自身を見つめる浜崎あゆみ。その実態と影響は大きすぎて、誰しもがほとんど断片的にしか言語化することに成功していない。とてつもなく巨大がゆえの果てしない孤独。もちろんわたしも彼女のすべてを紐解くなんて大それたことはできない。けれど、最新アルバム『A ONE』が傑作だったこともあり、すこしだけ彼女に挑戦してみたい意欲に駆られた。わたしの思春期はあゆに助けられ、あゆに支えられてきたのだから。

 

あゆと女子高生

1998年4月に1stシングル「poker face」でデビュー。3rdシングル「Trust」が化粧品CMのタイアップに起用され、新し物好きな女子中高校生を中心に支持を集める。1stアルバム『A Song for ××』(1999年)はいきなりミリオンセラーをたたき出した。9thシングル「Boys & Girls」(1999年7月)、10thシングル「A」(同年8月)を立て続けに大ヒットさせブレイク、一気にスターダムへと駆け上った。その後もジャケット写真を利用した白あゆ/黒あゆ戦略や「vogue」「Far away」「SEASONS」の絶望3部作のリリースが次々と話題となり、絶望3部作が収録された3rdアルバム『Duty』(2000年)はJ-POP史に残る名盤中の名盤。このアルバムの表題曲「Duty」で、あゆはこう歌っていた。

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《確かにひとつの時代が終わるのを僕はこの目で見たよ/そして次は自分の番だなんてことも知っている本当は》

あゆは時代の寵児だった。あゆが少なくとも5年もの間”女子高生の「共感」を集める絶大なるカリスマ”として不動の地位に君臨していたことを知っている女子高生は、いまどれほどいるだろう。いやそんなことはいまの女子高生にとっては関係ないことかもしれない。だけどつい筆が進むのは、当時は派手グループの女子も地味グループの女子も、少なからずあゆは自分の代弁者だと感じることができた存在だったからだ。派手女子たちは主に、ギャルの教祖としての華やかな見た目に大いに憧れた。地味女子たちは主に、自分自身の内面の葛藤や喪失というトラウマと向き合うような唯一無二の歌詞に強く惹かれた。そして見た目と歌詞を両立させたその存在こそが、グループを超えた女子の付き合いをひっそりと生み出していた。とはいえそもそもいまの女子高生は代弁者なんて必要ではないのかもしれない。「Trauma」という曲が収録されたシングルがミリオンセラーを記録した「自分自身の痛みに向き合う」姿勢は、もう古臭いことなのかもしれない。とはいえボカロ界ではそういう楽曲も支持されているようなので(疎いから具体的にはよく知らないけど)、あくまで人間が演じる場合にはという範囲にとどめておく。人間が痛みを語ることは或いは大袈裟だったり大層だったりするのだろうか。


あゆの歌詞に共感するということ/共感できなくなるということ

わたしがあゆから一歩離れたのは、4thアルバム『I am…』(2002年)収録の25thシングル「Daybreak」の歌詞を読んで「共感」できなくなってしまったからだった。それまではどの曲の歌詞を読んでも新しくて、しかもわたしの思うことを代弁してくれているように感じていた。自分と周りの差異なんかを感じてはもやもやしていたことに新曲の歌詞で応えてくれるような、自分とあゆが繋がっているような感覚が非常に強かった。宇多田ヒカルにはなかった。椎名林檎にもなかった。他のどの歌手にも「共感」の即時性はなく、わたしにとっては浜崎あゆみだけがそうだった。それなのに大ブレイクを果たした結果、自分の内面の葛藤だけでなく、ファンやまわりの人と手を取ろうという姿勢の歌詞が増えていって、とうとう自分とは違う方向を選んだことに勝手に寂しく思ったのだった。

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《さぁ今こそ共に立ち上がろうよ/君は君を勝ち取るんだ》

《どんなに遠く離れていても/僕らは同じ空の下で/いつかのあの日夢見た場所へと/旅している同志だって事を/忘れないで》

なんだか暑苦しくてもはや古い。だけど「Daybreak」のあゆの年齢をはるかに超えた今、わかる、わかるぞ。こういう歌詞になっていかざるを得なかった理由がわかるようになった。女性が社会に出るということは、改めて自分自身の「女性」という価値、また「共存」という概念に向き合うということだ。わたしは紛れもないわたしである、それだけでは既存の男社会では臭いと蓋をされ立ち行かなくなってしまうから、「彼ら」に同化することによって進んで行かざるを得なかったのだ。あゆはこの頃すでに「女性(アイドル)歌手」から「1人のアーティスト」として男性ミュージシャンの大物たちと並べられるようになっていた。


若い女性の抱く共感/共存と、最新のあゆ

恐れを知らない10代の頃は、漫然と生きる20代を見て「絶対にあんなおばさんになりたくない」と思ったものだ。「まわりのコピーのような化粧をして没個性化して埋もれていくなんて嫌だ」そう思っていた。おばさんはみんな自分自身の内面や葛藤を表現「できない人種」だと思っていた。「できる人種」になりたかったし、自虐すれば笑いが取れるような人種にもなりたくなかった。 それがいざ自分がアラサーに突入してみたらどうだろう。学生時代は同じような葛藤に「共感」を抱いていた友人たちが、次々と開き直っていくじゃないか。「結局いくら考えても一緒だって」マジかよ。「みんなハッピーがいいじゃん」うそだろ。彼女たちは葛藤をやめた。可憐な少女時代の心の機微にそっと蓋をし、現実に対して仁王立ちできる逞しい大人の女性へと見えない変化をしていった。少女の頃は蝶よ花よと育てられるのに、いつの間にか周囲の目が変わり自分のフィールドを勝ち取らなくてはならないサバイバルゲームに放り込まれるんだから、世間って本当に容赦ないものだとは理解している(身をもって)。かつて周到に隠された牙を街ゆく10代がどうやって見破れようか。そのときはいつの間にか済ませてしまった彼女たちの変化を、いつかのあゆの歌詞を読んだときと同様に寂しく捉えていた。

浜崎あゆみについて話を戻す。時が流れるとともに、あゆの活動はどこか縮小し2度の結婚や怪我芸や空港芸、シングルカットCDのチャートにおける一瞬の惨敗など、 【劣化】【悲報】【爆死】のようなネガティブな空気が彼女の話題にまとわりつくようになった。しばらくはそんなニュースもいちいち目を通していたけれど、どうにも救いようのない悪意に麻痺してしまい、こちらも「もういっそ引退すればいいのに」「なんで消えてしまったんだろう」なんて思わされてしまっていた。恐ろしくも、あゆの最新の姿を自分で確かめようとせずに。

2014年の年末、ミュージックステーションスーパーライブで数年ぶりにあゆの姿を見た。するとどうしたことか、数々のネットニュースにまとめられた姿なんかより断然可愛かったことに驚いた。披露された「Last minute」は往年の名曲「Memorial Address」を彷彿とさせる、あゆの魅力のひとつであるダークロックバラードだった。相変わらずこぶし歌唱だし、やたら逞しい。だけど、それまでと違って素直に彼女を受けいれようと思えたのは、こちらもまた変化したからだと気付いた。

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ところで、ここ2年ほどmiwa家入レオが大好きだ。可愛いのだ。愛でる対象として可愛いのだ。緊張していても可愛くしていてもいい歌を歌っていてもとにかく可愛くて素晴らしくて偉いのだ。加藤ミリヤは『TOKYO STAR』の頃から好きだし、最近では遂に西野カナのことも気にしてしまう。あんた大丈夫?変な男にまた騙されたの?って勝手に妄想して心配してしまう病気だ。だけどこれ、みんな自分よりも年下の女性ボーカリストたちで、同世代のYUI絢香にはこんな興味さえ持てなかった。この状態をあゆに「共感」していた頃に当てはめようとするのだけど、どうも様子が違う。

違う環境の人のこともどうにか認め積極的に意図を汲むようになる、そういうことが「共存」の行動だとしたなら、わたしも社会に出たこの数年の間に「共感」から「共存」に重きを置くという変化を終えてしまったんじゃないだろうか。10代の感覚から20代の実感へ、理想から現実へ。(ありえないとわかっていても/いるからこそ)みんな幸せなのがいちばん(と心から思えるよ)。その変化を自覚したが最後、背中を向けられたと感じていたあゆの背中を、いつの間にかまた追っている。そうすると実はこちらがそっぽ向いていただけで、あゆは常に「いま」正しい方向を見つめていたのだとみるみる気付かされる。


最新作『A ONE』 

A ONE (CD+DVD)

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「Last minute」のパフォーマンスと曲がとても気に入ったため、4月にリリースされた16thアルバム『A ONE』を聴いた。事件のように最高だった。これがわたしの知っているあゆであり、これがわたしの愛したあゆの姿だった。一時期危ぶまれた歌唱力の劣化もどこ吹く風、すっかり持ち直した芯の強い歌声がある。また変にEDM、ひいては洋楽に取り入ったりせず、正しく歌謡曲をベースにした王道のJ-POPを継承している。初めて聴くはずなのに懐かしく思えたのは小室哲哉の参画も大きな要因だろう。ミレニアムを経験したわたしたちは、骨の髄までTKサウンドとあゆの歌声が染み込んでいる。『A ONE』はもはや偉大なるベテランアーティストたちの紡ぎ出す音楽のように、エイジレスな音楽に近づいていると思えるほどの傑作だった。

たしかに歌詞のクオリティは落ちたかもしれない。だけど、知らないうちにリリースされてきたこれまでのあゆのディスコグラフィは、あゆに自己と周りについての葛藤が存在し続けていることを証明している。その積み重ねを経てもなおこんなにも青臭いことが書ける、枯れた瑞々しさを愛さずに他になにを愛せるだろう。結局のところ、自分の存在について自覚的な女性こそが社会で生きている女性だと思う。歌詞作りにおいて政治にも世界平和にも視線を移さない36歳のあゆは、やはり他の誰でもないあゆなのだ。

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《これやりゃあれがよかった/あれやりゃこれがよかった/とりあえずいつも何かしら/不満があるのね》
《当たり前が増えてって/求めすぎるようになって/えぐられたこの心臓/もう戻らない》
《そうあなたにはわからない/あなたには見せてない/本当のアタシをあなたは知らない/分け合う気なんてない/伝えるつもりもない/アタシはアタシだけのものなの》

 「Out Of Control」
《生きていくってなんだろう頑張ってってなんだろう/わかんなくなってもう君しか会いたくないんだよ/君だけにしか 君じゃなきゃだめなんだよ/今夜だけでいいから僕の人でいてよ》

 

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《lalalalala lala lalalalalai こんな毎日だよ/だけど胸張って 生きてるよ》

 

あゆの正しさを肯定できるようになった今、初めて彼女のライブに行きたいと思っている。エンターテイメントに特化したショー。あゆが歌いながら宙吊りになったり演技をしたり、歌以外の演出の印象が強いショー。歌をないがしろにされているような気がして、誘われてもいい顔のできなかったショー。だけどいまでは、歌詞に共感するために歌を聴きに行こうとするのは諦めよう、その代わりあゆの生き方を全肯定しに行こう。そういう風に、わたしも変化した。あゆはその一生を賭して永遠に近づいているのだから、人生で一度はあゆをこの目で目撃しなくてはならない。あゆは孤独だけどひとりじゃないことを、わたしは知らなければならない。

 

 

やや(@mewmewl7

always see you in dream