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ゲスの極み乙女。『私以外私じゃないの』

合評 レビュー

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春先からコカコーラのCMで流れている楽曲「私以外私じゃないの」。CMで流れるサビこそノリやすく予測可能なフレーズだが、その全体像は実に複雑だ。イントロの流麗なピアノからは想像もつかぬほどファンクな作りになっているし、リズムパターンも頻回に変わる。メジャーの土俵で人気を博したとはいえ、これじゃ未だ物足りないと攻め込んだ一曲だ。

momoe、ハツミ、ラスカに続く女性の名を冠した「ルミリー」。いつも通り恋人に宛てた想いを歌っているが、今回の対象は何らかの理由で現在は会えない妻。歌詞にはこどもまで登場してきて、このバンドと同世代の20代後半にはリアルな話を歌っている。

そして原曲と大きく様相を変えた「パラレルスペック(funky ver)」。1年間で自分たちのスキルアップを実感したと、彼らはインタビューで話している。1年前に原曲がリリースされた時も、技巧的でおもしろい楽曲だった。しかし、本作と比較して聴いてみると、当時の演奏の甘さに気付く。そして、5分以上の尺でこれだけ情報量が多いのに飽きないし、味付けが濃すぎることも無い。個人的に原曲のサビの晴れやかな高揚感が好みだったのでその点にもったいなさを感じるが、確実な成長を示す一手。

本作を締め括るのは「But I’m lonely」。打ち込みのリズムとピアノとシンセサイザーで構成した曲の上で、川谷のボーカルと女性コーラスがなめらかに絡み合う楽曲。彼らには珍しく全英詞。日付をまたいだ頃、部屋に1人でいる時にマッチしそうな、孤独とちょっぴりの絶望を歌った楽曲。

この1年、私は彼らのライブを追ってきた。観るたびに、ステージの構成もMCのおもしろみも格段に向上している。「コポゥ!」の1点突破でも、踊りやすい楽曲の連打でも無い。一過性の人気にとどまらなければ、この国の“J-POP”の意味を広げてくれるバンドとなるだろう。次の手が、今から楽しみ。

 

 

rinko(@rinkoenjoji

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別に誰かを批判しているわけではないのだが、いわゆる洋楽に影響を受けそれをサウンドに色濃く投影しているバンドほど、実は国内に向けた表現として完結しているのではないだろうか。2000年前後に洋楽、要はイギリスやアメリカのロックの影響を受け、それを単なるコピーに留まらず、それを日本人として新たなサウンドに昇華させ批評家から賞賛を浴びたバンドが数多くいた。それから10年以上が経ち、ちらほらアメリカやヨーロッパでツアーするようなバンドを見ていると、前述のバンドとは異なり、日本独自のガラパゴスとして評価を貶められていたバンドがずいぶん多いように思える。もちろんそれも一時的なことなのかもしれないが、今思えば当時思い描いていたものとはずいぶん異なる未来がやってきたものだ。

誤解を恐れずに言えば、ゲス乙女はどちらかというと洋楽の影響を感じさせないバンドだと思う。インタビューを読むとサカナクションtoe等のバンドについて言及しているが、直接的な影響を受けているのかは定かではない。むしろindigo la endのサイドプロジェクト(ただサイドプロジェクトですらなかったとも言われている)としてはじまったことから、むしろメンバーありきで形が定まり、今のサウンドに変化していったと見るのが自然だろう。本人たちは「ヒップホッププログレバンド」と自称しているが、ジャズロックと呼ばれる節もあり、僕個人としてはPE'Zや東京事変のようなバンドのフォロー的な側面があると思っている。

ただ、00年代のバンドがロックの枠組みを広げるべく、極端にベクトルを振りきっているとのは一転、むしろ彼らはJ-POPとしてうまくまとめようとしている。その緻密さが彼らの最大の武器だ。個々のプレイヤーが凝ったフレーズを奏でてにもかかわらず、彼らの曲は聴きやすい。だけど耳を澄ませば、かなり歪なことをしている。90年代の小室哲哉のようなプログレ感を携えて、いよいよ彼らはフジロックに出演する。

 

 

ぴっち(@pitti2210

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何度聴いても同じ感想を抱いてしまいます。「この変な曲は一体なんなんだ?」と。いやいや、落ち着いてください。わかりますよ。「何を言ってるんだお前は」ということは。重々承知の上で敢えて言います。ゲスの極み乙女。の新曲、「私以外私じゃないの」は相当変な曲ですよね。

まず、情報を整理するとゲスの極み乙女。というバンドはジャズ的なエッセンス、プラス川谷絵音の流暢なメロディーに乗せられるラップともポエトリーディングともとれるボーカルワーク(と呼ぶにはいささか毒と俗が孕みすぎている気がしますが)、そして楽曲の構造がやたらプログレッシブな音楽です。

「猟奇的なキスを私にして」もそうでしたが、上記にプラスされているものはJ-POPへの好戦的な態度です。《猟奇的なキスを私にして》《私以外私じゃないの》これらのサビのフレーズで歌われる言葉なのですが、どちらも一瞬で頭の中に残るように意識的に選ばれたフレーズだと思います。また、構造としてはセッションのようでありながら、最初に耳に入ってくるのは川谷絵音の歌です。そして歌われるサビがどこまでもJ-POP的なメロディーです。この複雑な構造をした曲の展開とお茶の間レベルまで届くメロディーのミックスが聴く人の頭に心地良い違和感を生み出しているのだと思います。

それはつまり表と裏であり、アンダーグラウンドとオーバーグラウンドの両方を混ぜ合わせたもの。つまり、サカナクションがメジャーシーンに打って出た時の方法に近いです。表現の仕方こそ違えど、ゲスの極み乙女。というバンドも同じことを実践し、そして支持を得ているのだと思います。

サカナクションというバンドも相当変な曲が多いバンドですよね。今でこそ、洗練されて見えづらくなってきていますが、「アイデンティティ」はその極みだと思います。《アイデンティティがない 生まれない らららら》という歌詞を大サビ、そこに生まれる明らかな違和感とそれに反比例するように湧き上がってくる気持ちよさ。

今回の「私以外私じゃないの」の最大の違和感もやはり、サビの歌詞にあります。《私以外私じゃないの》という自我の叫びのような後に続く言葉が、《当たり前だけどね》なのです。やっぱり変です。

僕なりの解釈を書いておくと《当たり前だけどね》の部分には「まぁ、いっか」という一種の諦めがあります。この《当たり前だけどね》があることによって、感情に揺らぎが出ているように思えるのです。この感情の揺らぎをサビのいわゆるお茶の間レベルのJ-POPのメロディーに乗せる痛快さ。これが僕が感じた違和感の正体です。気付けば違和感は痛快感に変化していました。

つまり「私以外私じゃないの」とはゲスの極み乙女。による、サカナクションアイデンティティ」への回答ではないのか。半ば強引ながら僕はそう思っています。もし彼らが今後、時代を歌い始めたら。そんなことを考えるとワクワクしてきますよね。

 

 

うめもと(@takkaaaan

takkaaaan blog

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