スピリットオブジャパニーズロック そしてディストピアを謳う 後編

いつも書いてます、草野といいます。今回は、現代思想家の東浩紀さんと批評家の佐々木敦さんの2人で開催しているゲンロン 佐々木敦 批評再生塾 新・批評家育成サイトの 『文化について書くことで状況を語り得るのか』(講師:さわやか)

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に影響されたものです。本当はもっと深く広く調べ上げて書く題材でしょうが、書ける範囲でとりあえず書いてみよう!の気持ちのまま書いてみたら、なんと1万字を超えてしまった……。なので、前中後にの3つに分けられてます。

前編、中編はこちらです。

ongakudaisukiclub.hateblo.jp

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今回、僕がこれから紹介する3組は、非常に多くのファンから支持され、日本のポップミュージックをそれとなく追いかけている人なら、名前を見たことであろう3組のロックミュージシャンです。

 

 

2010年代に入り激変を迎えた日本社会、3.11の東日本大震災、第二次安倍政権安保理決議の是非と大規模なデモ運動を通し、生まれてしまった違和感や戸惑いが非常に色濃くあると思う。そんなこの時代をディストピアとして見て取り、ポリティックな色合いを強めながら、歌い、奏で、一つのロックミュージックに仕上がった3つの作品。同時にそれは、ミュージシャンとファンとの幸福な関係性の中で生まれ得たという意味で、十二分に「邦楽ロックミュージックの現在を映し出した」作品だと言ってもいいだろう。

坂本慎太郎の『スーパーカルト誕生』を知っているだろうか。

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2014年に発表されたこの曲、そして同曲を収録した『ナマで踊ろう』は、現在の日本社会を風刺するような歌詞が、古き日の歌謡曲やハワイアンミュージックの香りを漂わせるポップスに乗ることで聴く人の心を捉えて離さない一作となり、ミュージックマガジンなどの音楽関係雑誌で大きな反響を得た。

おおよそ雑誌では、安倍政権と連ねて歌詞に言及することが多かったが、僕はそこに繋げるのは安易すぎると思っている。彼が2014年の安倍政権を暗喩するように歌えたのは、現況の日本社会に留まらず、より先の未来に起こり得る『スーパーカルト誕生』をも風刺してしまうような、怜悧な視線があるからに他ならないからだ。発売後1年が経過し、この作品が持つ怜悧な風刺性がシャープさを増して聴く人の心に刺さっていくのは、言うまでもない事実であるのだが、もしもこの作品がその音楽性含めて20年後30年後も聴かれるような耐久性を持ち得ていたならば、その時に今作は初めて名作だと言えるはずだろうと思う。

どうせこんなの茶番だ なんて口にしちゃだめだ
もうそんなの みんな知っている
楽しいこと話そう もっと お化粧した俺は
いい感じで目が死んでるね
(中略)
けしてこの世は地獄 なんて 確認しちゃだめだ
だっていまみんなここにいる
あの人 元彼女 だっけ? 確か君の
妄想ならよくできてるね
(ナマで踊ろう)

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見た目は日本人 同じ日本語
だけどなぜか言葉が通じない
はみだした存在は すぐに消してしまう
誰もが自分で何か起きる前に
中身はがらんどう 木彫りの人形
そいつを拝んで ただ口をつむぐ
(この世はもっと素敵なはず)

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今作で奇妙に浮かぶのは、昔々のNHKで放映されていた人形劇のような、過剰加工されたロボ声だ。こういった過剰加工された声は、とある時代から現代にいたるまで様々な形で表れてきた。ソノヴォックス、ヴォコーダー、 トークボックス、オートチューン、スクリュー・ヴォイス、そして初音ミクをはじめとするボーカロイド。エフェクトをかけられた声は、ときに自分の声以上に雄弁になる。今作では坂本の歌声と対になるかのようにフワフワと浮かび上がり、最終曲「この世はもっと素敵なはず」で謳いあげられる《この世はもっと素敵なはず》という言葉をより強調させている。

 

彼の作品だけがいまの社会に対して違和を唱えているわけではない。2011年に発表した『homely』を皮切りに、2014年にかけて『100年後』『ペーパークラフト』へと連なった3部作を生み出したOGRE YOU ASSHOLEをご存知だろうか。昭和歌謡曲の人懐っこい魅力をエッセンスとして摘出するのは坂本慎太郎と同じ手腕ではあるが、1970年代のクラウトロックや1990年代のポストロックの感性を軸に据え、素っ気ないほどにミニマルなサウンドスケープがクールに響かせる。

くくるロープの輪っかに
見える川の向こうに
揺れる赤い かたまりみてた
形を楽しんだり
枠を取りに行ったり
編んだロープでかき集めてく
くくるロープが
(ロープ)

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話しかけても 横に回ればただの線
仲良くしても 横に回ればただの線
話し込んでも 横に回ればただの線
すべてが簡単に破けそう 
でも意外と丈夫にできている
すべてが簡単に飛んでいきそう
でも意外とちゃんとできている
すべてが簡単に倒れそう
でも意外とうまくできている
紙の街 紙の家 紙の人
OGRE YOU ASSHOLEペーパークラフト」)

どうやらオレは楽園にいるみたい

なぜなのかも
いつからかもわからない

なにより俺の体は正直で
帰りたくても これでは動けない

綺麗な海 あふれる光
ハリボテの街も なんだかいい
(いつかの旅行)

街から 匂いや色や音が消えた

ムダのない 記号のように見える
一つも余らない ムダがないって素晴らしい
波立こころもなくし 続く
(ムダがないって素晴らしい)

 

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彼らが歌うのは、現代社会の軋轢やルールに緊縛された日々を過ごすことで摩耗し疲れていく人間たち、彼らに宿るブルースやそのような状況そのものの薄っぺらさについてだ。彼らの場合、特定の個人ではなく、この社会・雰囲気について歌っていることで、より状況を歌い上げているロックバンドといえよう。

 

そして、ASIAN KUNG-FU GENERATIONが今年生み出した『Wonder future』はご存知だろうか。エモーショナルかつパワーコードだけで構築した初期作品からポストロックやヒップホップなどの音楽から影響をもらってきた彼らが、今作で新たに奏でたのは、ブラックミュージックめいたスウィングが起きない、非常にストレートなグルーヴ感と少なめにコード進行で弾けるロックンロール。長きにわたって彼らを慕っていたファンが『これだ!』と膝を打つほどに会心のロックサウンドをカマしながら、彼らが歌うのはアルバムタイトル通り、『これからの未来を想い、あらたに社会をアップデートしていくための力強さ』だ。

人気のないビルの前で止まらぬ回転灯
真夜中のアフターパーティ 踊り狂うゴースト
亡者になって貪り食って彼らは笑う
灰になって透明になって
更地の回転ドア
(中略)
このまま墓場で運動会さ朝まで
何したっていいんだぜ 黄泉帰っていいんだってねぇ
(中略)
人気のないビルの前で止まらぬ回転灯
朝になってごみダメになって 更地の回転ドア
入口だって出口だって どこにも見当たらないだろう
ここが君の住む街だよ
ASIAN KUNG-FU GENERATION「Easter/復活祭」)(このPVが発表されたのが2015年3月11年、というのもひどく示唆的だ)

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先行発表された「Easter/復活祭」での歌詞を取り上げたが、彼らの今作における歌詞は、「自分たち(および聞き手となるリスナー)の周辺はディストピアである」、そういう認識を基にしているように読み解ける。東日本大震災以後、日本社会に対して様々な角度でポリティカルな発言が多くなった後藤正文ツイッターを覗いてみれば、その認識も気負ったわけではなく、彼のナチュラルな反応だといえるのではないだろうか。

 

こうして3組のロックミュージシャンを取り上げてみた。ロックと一言で間口の広い言葉を使ってしまったが、三者三様のサウンドを奏でながら、それぞれに見ている現況認識と表現が似通っているのがよくわかる。彼らの作品にはいまの日本における社会運動/社会活動について直接的な言葉はない。だが、彼らの続く言葉と音楽には、いま自らの目の前に広がった状況に応答し、どこか現代社会に対する居心地の悪さと逃避願望・対応姿勢が込められているように感じられ、現代の日本はディストピアではないか?というリリカルな疑問とささやかだが確かな決意を感じずにはいられない。

それでいて彼らのように、観念的な手法に囚われすぎず、縛られすぎず、現実からの逃避ではなく、現実へと接続するミュージシャンが確かにいること、そしてそれをアートな形に昇華できうるのは、紛れもなくいま僕らリスナーミュージシャンの間に幸福な関係があるからこそであろう。今聴かずしてはいつ聴くのだろう。ロープで縛られる時代はもしかすればすぐ近くにまで本当に来ているのかもしれない。この時代の波を一番に感じるならば、他ならぬ今ででしかない。

 

 

 草野(@grassrainbow