渋谷系特集 #5「花澤香菜は渋谷系の夢を見たか」
花澤香菜は渋谷系の夢を見たのだろうか、いやあるいは渋谷系が花澤香菜を夢に見たのだろうか。
鶏が先か、卵が先か、二項対立気味に垂直したお話を聞かされた時、「やれやれ」と僕は椅子から立ち上がり、ベランダでタバコを吸いながら、隣にいるはずもない花澤香菜という女性に顔を寄せてみた。
花澤香菜の歌声を聴いたのはいつだったろう。まずはそこから思い出そう。
2008年に放映されたTVアニメ『セキレイ』のOP主題歌、ヒロインの一員として彼女もこの作品に参加、オープニング主題歌を歌った(ちなみに花澤香菜がその歌声を初めて披露したのは『月面兎兵器ミーナ』の「トマトの理由」だ)。
なぜ印象深く残ったか、聴いていただければ自ずと分かる。
結(早見沙織)・月海(井上麻里奈)・草野(花澤香菜)・松(遠藤綾)「セキレイ」
Bメロのアタマに歌い出す花澤香菜の歌声はおおよそ、高校時代の授業終わりに無理矢理にカラオケ連れて来られ、「全然うまくないんだよー」と言いながら歌い出した女生徒を思い出させるのにちょうどいい。ハッキリ言おう、上手くない、ニコニコ動画のコメント的に言えば「ズサー」で「ズコー」だ。ついでに彼女ら4人がとあるイベントで歌った動画を見つけて見てみれば尚更、より鮮明にその絵を思い出させてくれる。
紹介が遅れてしまい申し訳ない。
今回の主人公、もといヒロインの花澤香菜は、この5年間で生み出された日本のアニメ作品のなかで、最もヒロインを演じてきた女性声優だ。
1年間で生み出される国産アニメは200作前後(!)あるわけだが、彼女はここ5年で年平均10本前後の作品でヒロインを演じ、しかもヒロインではない脇役にもコンスタントに出演、彼女の声を聞かない日がないという時期すらもあった。それがゆえ、画面の向こう側には「見えざる」ファンが多く生まれていたのは言うまでもない。
アニメが最新の流行ファッションのごとくピックアップされるいま、彼女が歌手として本格的にデビューすると聞いた時、「また声優のアイドル売りか」などとも思った。だが、若くから声優として活動を続け、その道のファンには既に名の通った存在、ヒロインとしてコンスタントに選ばれ続けてきた事実などを踏まえても、水樹奈々のようなアイドル性を浮かび上がらせるのに十分かつ当然の出来事として受け入れた。
トータルプロデュースには北川勝利(ROUND TABLE)が座り、カジヒデキ、沖井礼二、ミト(クラムボン)、矢野博康、中塚武など、90年代に花咲いた『渋谷系』を彩ったミュージシャンが勢揃いする。
花澤香菜のデビュー作に集まった面々に気づき、正直に言えば目を疑い、奇妙だとも思った。
アニメソングを好んで聴くファンの中に、渋谷系ミュージックを愛好している人間がどれほど多いかはわからないが、どうにもアニソンファン・声優ファンとこのメンバーが生み出す音楽を結ぶ着地点が想像できなかったのだ。
ヒントとしてあがるのは、冒頭で書いた『セキレイ』のOPから数年後、彼女がアニメ『化物語』のキャラクターソングとして歌った「恋愛サーキュレーション」だろう。これを聞いた時は思わずニヤリとさせられた。たどたどしくメロディラインを追いかけていた彼女のイメージは一転、ラップとして語句を歌わされるキュートな姿へと変わった、花澤香菜のウィスパーボイスをより活かす意味を汲んでも、そちらのほうが破壊力があったのだ。何より、改めて聞いてみるとこのゆるいキュートさがあるストリングスアレンジ、まさに渋谷系っぽいじゃないか!
千石撫子(花澤香菜)「恋愛サーキュレーション」
これと前後して、彼女には渋谷系サウンドを使ったキャラクターソングが多く提供される。
双葉アオイ(花澤香菜)「君色*コンプリート」
ヒロインの一人として出演したアニメ『あそびにいくヨ!』のキャラクターソング。とはいってもこの曲、本編EDに使われた曲ではなく、そのカップリング。
シャルロット・デュノア(花澤香菜)「mon cherie, ma cherie」
シャルロット・デュノア(花澤香菜)「アリガト。だけじゃない」
これまで「弱々しいキャラしか演じられない」などというイメージをひっくり返し、「戦うヒロイン」を演じたインフィニット・ストラトスのシャルロット・デュノアは、役者としての花澤香菜にとって転機となったと思う。
そのキャラクターソングは、ドツボな渋谷系サウンドとはいえないものの、その遠景にはシャルの出身国「フランス」が見えてきそうなサウンド、そこにこのキュートな歌声を組みあわせ、うおー素晴らしい。
あとはこれとか
杏本詩歌(花澤香菜)「あかいりぼん」
あとはこれだとか
しろくまカフェのは若干電波っぽさあるけど、まぁまだ聴けるはず。。。
さて、
あらためて花澤香菜について思いを寄せる時、デビュー当初、声色の薄さと演技力の無さから「棒演技」「一般人」とまで激しく揶揄されていたことを僕は思い出す。だが彼女はキャリアを積み重ね、アニメ特有のロリータ・ボイス、艶やかなアダルティ・ヴォイス(要は大人っぽいエロ声)、主人公を温かく励ますささやき、内心で自己言及する際の張り詰めた緊張感あふれる声など、多彩かつ一線級の演技力を手に入れた。
だがこの演技力は、花澤香菜の細くウィスパー気味な細い声色を活かすためにある方法論、あの声色こそが彼女を彼女たらしめているのは言うまでもない。
この声色を活かすためには、「恋愛サーキュレーション」のようなヒップホップも面白いだろうが、やはりここはJ-POP的なサウンドを基板にしなければリスナーとなるアニソンファンは決して満足しないであろう。花澤香菜をめぐるイメージも、化粧や衣装を凝らした「極端さ」より、あくまで「そこら辺にいそうな女性っぽさ」という「親しく近しく」がモットーに見える。音楽活動開始以前の彼女と、それ以後の彼女のヴィジュアルに、さほど大きな変化が見られないことが何よりにも勝る証だろう。
加えて、彼女のライブグッズに『かなまくら』なるグッズが販売されたことが決定的な一打となるだろう。
日本音響研究所の鈴木先生に花澤香菜の"声"を音声解析頂いたところ、振幅揺らぎによる「リラックス効果が期待できる声」と判明!リラックス効果を最大限活かした朗読CDを制作し、同じくリラックス効果のあるラベンダーの香りつき枕とセットにしたおやすみグッズ
こんな突飛すぎるリラックスグッズが販売される女性声優、それが彼女なのだ。
ひとつ間違えて「地味」「控えめ」というイメージへと陥ってしまわないように、加えて極端な華々しさで無理に彩ることもせずに、「親しく近しい女性」を不自然にならないよう彩りを与えてくれる音楽……、そこにスライドしてきたのが渋谷系を通過した「マエストロ達」であった。
少し話は逸れるが、「アニソンはジャンルじゃなくタグ」だと親しいアニソンDJが語っていたが、まさにその通りだ。同時に渋谷系とアニソンは、それぞれ現場の空気感を吸い上げ「タグ付け」するジャンルとして、非常に近しいジャンルではないかと、個人的に思っている。
例に挙げれば、「L'Arc〜en〜Cielはアニソンを歌ったからアニソンバンドだ」という認識。正しく言い直せば「Ready Stedy GoやDriver's Highはアニソン」であり、前者は間違いのはずだ。だがタグ付けによる目印を頼りに、遠距離から眺めている人間からすればこの認識は正しく見える。
こんな手合で、アニメのOPやEDに使われていた楽曲、引いては「アニメによく出てる声優だから」という理由で「アニソン」と言われてしまうのは、一種の危うさを伴っているとも言える。
同時にこの論理は、渋谷系でも同じような意味合いを持っている。今回の特集、その最初の章を読んだ方ならお分かりの通り、強烈な目印として働く「タグ付け」の裏側には、知られざる驚きも同時に隠されているのだ。また、渋谷系は、ジャズやロックやテクノのような特定のサウンドを括った枕詞ではないのだと、一応釘を刺しておきたい。
80年代後半から90年代初頭のクラブ文化、タワーレコード渋谷店やHMV渋谷店を筆頭にしたレコード店の進出、ライブハウスやインディーズレーベルなどを加えた音楽メディアの集積、これらが渋谷の道玄坂を中心に交じり合って生まれた音楽。
ニッチかつマニアックな音楽的要素を乱雑に内包しながらも、僕達にはシームレスにつなぎ合わせたポップスとして届けてしまうパッチワーク・マエストロともいうべき人間たちの手工芸音楽。
英語とフランス語と日本語を母国語のように使い分け、どこか遠い世界の話を聞き手に流暢に語る音楽。
それが渋谷系の原初ではなかったか。
ROUND TABLEやクラムボンはもとより、Cymbalsやカジヒデキなどのいわゆる後期ギターポップめいた音楽をも「ポスト渋谷系」として包括してしまうのは、洋楽文化独特の強い匂いを隠さずに放つ音楽であったからであろう。
特にこの章で重要なのは、花澤香菜という女性の音楽活動に渋谷系がどれだけの影響を与えたかではないか。簡単にだが、僕が彼女の好きな曲をさらっと語ってみたい。
花澤香菜「星空☆ディスティネーション」
「星空☆ディスティネーション」はまさにROUND TABLEの北川勝利さんらしいサウンドだが、ソウルやファンク、50年代のオールディーズポップ/黒人ガールズグループを遠景に見える「ちょっと腰振って踊れそう」な感覚は、これがまさに「THE渋谷系」とも言えようか。
「おもいっきり腰振るのはちょっと無理だけど、ちょっとだけならオッケーかな」というテンションは日本人ライクだろうし、まさに花澤香菜のイメージと方向性にもピタリと符号している。
花澤香菜「初恋ノオト」
「初恋ノオト」はハウスサウンドに沿ったミニマルなトラックの上をジャジーに金管楽器が飛んでいくという一曲。
なんだただのJ-POPか……と思いそうだが、花澤香菜の歌声と歌い口、ウィスパーな声色とすこし辿々しくもある歌い口というアプローチを引き立て、ワンポイントのアクセサリーのように聴こえてくる。
花澤香菜「恋する惑星」
セカンド・アルバム『25』が、「恋する惑星」のみをシングルにして2枚組25曲で発売した時は驚かされたが、この曲にもたまげた。
作詞を務めた岩里祐穂といえば、坂本真綾の代名詞シングル「プラチナ」を担当した方であるが、まさにその曲を思い出させるような一曲だ。なかなか低音域で這うことをせずミドルフレットでグイグイ動くベースライン、長谷泰宏さんのストリングスには「風に舞う花びらと少女」をもたやすく想起させうるマジックが宿っている。まさに花澤版「プラチナ」じゃないか!。
では、渋谷系と符合した花澤香菜の2作品が生み出したものとは一体なんだろうか。
以前自分のブログのなかで書かせてもらったが、90年代渋谷系が持っていたフレンチポップ/オールディーズポップ/50'sガールズグループへと連なっていくような「ファンシーな装い・彩り」、アニメソングが元来持ちあわせている「空想性」、花澤香菜の持つ「親しく近しい女性像」、彼女のファースト/セカンドアルバムはこの3点によって一種の虚像性を大きく広げ、アニソン圏外に置かれた作曲者とのアクセスポイントを大きく広げたといえよう。
総合プロデューサーの北川勝利が主導するROUND TABLE feat.Ninoを初めとして、アニメ関係の多くのユニットがこのブレイクを狙っていたと思うが、花澤香菜とのコラボレーションによってこれまでになかった巨大な風穴を開けたのだ。(時を同じくして同ユニットが活動停止したことも風穴の影響だとしたらとても心痛い話だ……)
この意味で、花澤香菜のアルバムだけでなく奇しくも同じタイミングで発表された竹達彩奈のアルバム『apple symphony』をおすすめしたい。竹達彩奈のバックにはCymbalsの沖井礼二が入り、花澤香菜とはまた違ったイメージで「親しく近しい女性」へと果敢に挑んでいる。
そして正直に言えば、竹達彩奈のアルバムは個人的には好みな一枚だ、理由は簡単だ、花澤香菜よりも竹達彩奈のほうが彼女にしたいのだ、だってお胸大きいジロリアン(未確定情報)かつ吉野家のアイドル(?)なのだから!。
竹達彩奈「わんだふるワールド」
そしてちゃぶ台をひっくり返すようだが、まるで花澤香菜一人で成し遂げたようなこの偉業は、サウンド面においてはROUND TABLE feat.Ninoが、声優としてみれば坂本真綾や豊崎愛生のような先駆者が徐々に開いていた場所であることも忘れてはならない。
両者ともに花澤香菜とも同じような志向性と実力を持った声優、特に豊崎はかなりのミュージックフリークとして業界人を驚かせたほど。加えて、この2人は花澤香菜や竹達彩奈の志向する「親しく近しい女性」イメージとモロに被った、いわば敵同士であることも忘れてはいけない。
坂本真綾「はじまりの海」
豊崎愛生「letter writer」
花澤香菜は渋谷系の夢を見たのだろうか、いやあるいは、渋谷系が花澤香菜を夢に見たのだろうか。
とある雑誌の中で、北川勝利氏は「彼女はあくまでも軽く受け取って歌ってる」と花澤香菜を評していた。そのゆるやかな共犯関係に依って引き起こされた風穴に、鶏が先か、卵が先か、二項対立気味な論理を吹っかけるのは野暮な話だ。
大事なのは、ポップ・マエストロとして成長したポスト渋谷系の監督たちと、鍛えぬかれた演技力を駆使して女性を演じる若手声優という取り合わせが、類をみないほどに高密度なポップ・ミュージックを展開している現況だ。次に来たるはおそらく、竹達彩奈とpetit miladyというユニットを組んでいる悠木碧であろうと踏んでいる。
悠木碧「クピドゥレビュー」
最後に、「ここ最近生み出された渋谷系直系のサウンドは花澤香菜の2作品だ!、渋谷系初心者はこれをきけ!!!」などという断定口調にはまったく頷けない、「直系?はて渋谷系という空気に形などあったかな?、分かりやすくギターポップを奏でてる方々はいるけども」といった手合で、僕としては首を横にかしげてしまうことをはっきりと申し上げたい。
もしも今特集において「はじめての渋谷系」を踏む方はどうぞ、フリッパーズ・ギターを聴けばいいとおすすめしたい。なんなら「より渋谷系な」アイコンを追いかけて、ピチカート・ファイブの野宮真貴やカヒミ・カリィという幻影を指さしたい。ベッドルームでの緩やかなダンスをご所望ならばオリジナル・ラブ、Base Ball Bearの小出祐介にもリンクした「王子様」系ギターポップに心躍らせるならばカジヒデキをおすすめしよう。「恋とマシンガン」「東京は夜の七時」「接吻-kiss-」といった名曲ならば、きっと新しい驚きを与えてくれるだろう。
何よりも、インターネットに漂う「渋谷系ファン」が集まった今回の特集を覗けば、自ずと新たな驚きに出会えると考えている。
草野(@grassrainbow)