パスピエ『幕の内ISM』
コアな音楽ファンから所謂J-POPリスナーまで幅広い層から喝采をもって迎えられ、ヒットチャートを賑わすようなミュージシャンがこの日本という国にはとても少ない。ざっと思い浮かぶのは椎名林檎、宇多田ヒカル、山下達郎、ぐらいだろうか。いや、もっといるだろう、という当然のツッコミはとりあえず無視するとして、パスピエはもしかしたらそんな数少ない幸福なミュージシャンの仲間入りをするんじゃないかと思わせるほどに開かれた魅力と無限の可能性が、最新アルバム『幕の内ISM』には詰め込まれている。果てしないクオリティの追求と商業的成功、その両方を成し遂げんとするパスピエの野心にすっかりやられてしまった4人のレビューをお楽しみください。(くらーく)
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1曲目「YES/NO」のフィジカルな演奏に意表を突かれて少し戸惑っているところに、コーネリアスっぽい2曲目の「トーキョーシティ・アンダーグラウンド」のイントロのギターが耳に飛び込んできた瞬間に一気に『幕の内ISM』の世界に引き込まれた。そこから最終曲まで、それはそれは豪華絢爛で多彩で情報過多な楽曲と、それらを120%活かす完璧な演奏と歌唱によって、現行のJPOPのまっただ中を猛スピードで駆け抜けていく姿には、パスピエに対して好意的だったとは言えない僕のような白けたリスナーの心をも一瞬で奪い去って巻き込んでいくような勢いと美しさと痛快さがあった。いやあ、最高。
ポスト相対性理論のバンドとして、頭一つ二つ抜けた感のあるパスピエだけれども相対性理論との最大の違いは「あざとさ」だと僕は思う。いや、相対性理論だって相当にあざとかったけど、彼らのあざとさはスノッブで中二臭くてオシャレでサブカルなものだった(気がする)。一方、パスピエのあざとさは商業的で記号的で、簡単に言えば"売れ"に来ている。近未来だったり、エキゾチックだったり、つまりはアニメ的な世界で美少女達が暴れまわっているようなそんな風景が『幕の内ISM』を聞いていると脳内に浮かんでくる。
暫くはJ-POPを参照したJ-POPの到達点として君臨するだろうこのアルバム。音楽のガラパゴス化の果ての近親相姦を経て濃ゆくなりすぎた血。そんな血液が流れているパスピエがこれからどのような異形の進化を遂げていくかが楽しみでもあり、同時に、この最高のアルバムを聴き終えての唯一の不安でもある。行き詰まるとしたら、きっと次だから。
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「トーキョーシティ・アンダーグラウンド」
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あれ、タイトル回文じゃないぞ?ジャケもカラフルだし、目が描かれてる(ってダルマみたいじゃないか)!ということはつまり、パスピエは新しいフェイズに入ったのか?聴き終えてみて、その答えは「YES/NO」だと思った。2nd『幕の内ISM』はつまり、これまでの集大成という点でNOであり、ここから一歩が踏み出されるだろう真の序章という点でYESである。そして、J-POP、J-ROCKと言ったときの「J」における大きなマイルストーンの一つでもある。
個人的な印象になってしまうけど、ライブの盛り上がりを重点に制作された1st『演出家出演』はタイトル通り、パスピエ自身がいろんなバンドに擬態して演奏してるみたいで、バラエティーにあふれると同時にどこか統一感が無く、オリジナリティが見えなかった。しかし今作はインディーズから続くパスピエ印のポップセンスと、近年の精力的な活動で得たタフネスがしっかり融合している感触がある。様々な人物が登場してとっ散らかるのでなく、たくさんあるテイストを手のひらの上に乗せ、これと思ったものを箸で口に運ぶ女性=完全にコントロールの効いた状態……というのは考え過ぎだろうけど、案外そんな意味のジャケだったりして。
でも『幕の内弁当』というはなるほどで、いろんな音楽要素がパキパキと小気味良いアンサンブルでパッケージされていて、(ジャケを)目で見ても聴いてみても楽しいし、ぴったりな表現かも。成田ハネダが放つポップネスにはより複雑なアレンジが施され、その職人気質は彼自身がおしゃれTVやScritti Politti、Laura Mvulaの名前を出すまでもなく確かなものだ。パスピエのキーワードとも言えるニューウェーブ、テクノポップ的なオリエンタリズムは本作でも不変でありつつ、シャッフルビートの「誰?」など新機軸も搭載。(グルーヴと言うより)肉体性がグンとビルドアップしたことでダンサブルっぷりにも拍車が掛かっている。
いくつかのインタビューで成田は「民族性」「海外から見られた日本」「POPの中のJ-POPバンド」というキーワードを唱えている。J-POPであることへの意識をひと際感じるし、だからこその芯の強さもあるんだろう。曲に詰め込まれた情報量の多さも相まってこの無敵感はSchool Food Punishmentと重なるんだけど、奇しくも「Y/N」という曲を最後に解散してしまったスクパニに対し、「YES/NO」で幕を開ける今作を産んだパスピエにはまだ先が用意されている。大胡田なつきも「アジアン」で《今新時代が到来》《未来と原始 遺伝子なら合わさって輪廻》と歌っている。
一つの方向性はこれでやり遂げた感がある、というかむしろ「ブンシンノジュツ」「私開花したわ」「ONOMIMONO」の3作でやりたいこと全部終わってたんじゃ?という気もするんだけど、次の一手はどうなるんだろう。音楽知識、演奏力、獲得した知名度。彼らは可能性を実現出来る能力と野心がある。だから先が読めないし、期待も膨らむ。
KV(@sunday_thinker)
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「MATATABISTEP」
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パスピエの音楽を聴いていると「どうしてここまで焦るのか」という疑問が浮かぶ。彼らは自分たちのオリジナリティを代償にありとあらゆる音楽を引用し、その機能性を高めている。「J-POPとして耳に残ること」「ライブバンドとして目の前のお客を熱狂させること」に異常なまでに執着している。オリジナルであること、アーティスティックであることは二の次。下品な言い方をすると「売れること」にこだわっている。
フェスブームは飽和状態を超え、さらに拡大路線が続き、食べていけるバンドが増えた反面、スター街道を歩むバンドが生まれにくくなった。ミリオンセラーではなくチャート1位がスターの尺度になり、フェスのヘッドライナーになることがナンバーワン・ロックバンドの指標になった。ドームなど夢のまた夢。そんな10年代において、パスピエは間違いなく肉食系のバンドだ。彼らは間違いなく90年代後半の売れたバンドのように野心を持っている。
ライブに特化した前作『演出家出演』と比べて、多少テンポは下がった。しかしライブ向けの制作をやめたわけではない。むしろフェスの短い時間の中で一気に沸点に達することを目的に作られたがほとんどだと思う。Queenからの影響を感じさせながら同時にアニソンとして通用しそうな清涼感がある「七色の少年」と、サカナクションと中島みゆきを強制的に配合させたような「あの青と青と青」、この真逆の方向性の2曲の配置は明らかにライブを見据えている。
匿名性を盾にありとあらゆる音楽を取り込み、それを用いて生み出した熱狂とその後の静寂。その狂騒の中でひたすら踊り続けることがパスピエのアイデンティティだ。アルバムを通して聴くと本当に狂ってるけど、多分この音楽を聴いて熱狂する僕らの方も相当狂ってる。音楽も言葉も存在さえも空虚なのに、彼らが生み出す熱狂には実感がある。
ぴっち(@pitti2210)
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「とおりゃんせ」
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店に行って実際にCDを手に取る。もちろん初回盤DVD付き。前作『演出家出演』、先行シングル『MATATABISTEP』と同じく特殊パッケージ。なんかアジカンの『ループ&ループ』を連想させるような色合い。家に帰って開封。『ループ&ループ』のようなジャケットはケースなのか。中身は同じイラストの色違いの赤。並べると同じイラストなのに全くイメージが違う。しかし緑と赤って1番最初のポケモンみたいだ。
CDを取り出すべくジャケットをめくる。なんだこの立体感は。セーラー服の少女が部屋の中を覗いている。少女視線ではなく、下から覗くように中を確認したのは自分だけではないはず。なんだか、自らを「ヘンな音楽の殿堂」と称した有頂天の1990年のアルバム「カラフルメリィの降った街」の初回盤のジャケットを思い出した。さすがにあれほどまでではないけど、これを全部大胡田なつきが手掛けてるんならすごいなぁ。
なるほど、なるほど。ここはこうなってて、こっちはこうなってるのか。和の要素が強く感じるけど、なんだか前作よりもポップというか、さらに開いている感じだな。そしてやはり少女。これは大胡田なつき本人そのものを投影した存在なんだろうか。ああ、面白い。何度でも見れる。何度見ても新たな発見があるアルバムだな、これは。
というのはジャケットやアートワークの話でもあり、曲、CDの内容そのものの話でもある、と思う。
ソノダマン(@yoppeleah)