syrup16g『Hurt』
2014年08月27日、五十嵐が生還した。syrup16gが再び動き出した。
あのまだ寒い武道館の日から犬が吠えるを挟み、2013年のNHKホールで五十嵐の横に立ったのはこれまで支え続けてきた二人だった。ソロでUKFCのステージに立ちCOPYの曲を弾き語り、そこからの空白の一年。また表舞台から消えるのかとソワソワしていた私達に告げられたのは「syrup16g再始動」と、全曲未発表の書き下ろしで固められた8枚目のオリジナルアルバム『Hurt』のリリースであった。
たとえば社会を形成している多数にあたる社会人や、それ以前に人として生活をする上で必要とされるコミュニケーション能力が五十嵐には欠落している。きっと音楽が無ければ人と繋がることはできず、自己表現もできないだろう。そんな彼には中畑大樹という理解者と、キタダマキという五十嵐の紡ぐ曲を具現化するために多くを許容してくれる存在が必要だった。もちろん他の要因も山程あるだろうけれど、武道館をもって一度解散し、新たに結成したバンドを潰したことからも十分に分かる。五十嵐が表舞台に再度出てくるには、この二人と共にsyrup16gを復活させるという道しかなかった。他のメンバーとまた新しくバンドを始めることも、ソロとして立つことも、上手くいかない未来しか想像できない。
武道館の前にリリースした『syrup16g』は、“終わらせる意志”が昇華された作品であり、終わらせることで始まる“ナニカ”に五十嵐は期待していた。 シロップとしての作品よりも、個人としての作品だと感じる曲やアレンジが多かったが、今作の「Hurt」はバンド感が前面に出ている。プレイヤーとしての中畑、キタダの存在がとても大きい。
復活後のインタビューで「メンテナンスに時間がかかった」と何度か目にしたが、レコーディングをしたときには落ち着いていたのだろう。もちろん《はっきり断言する 人生楽しくない》と、これまでのように取り巻く世界への嫌悪感やどこまでも暗い闇のような雰囲気はあるが、空白の6年間の自身を客観的に見ているような穏やかさを感じる。こちらは見ることのない生活を曲から想像できてしまう。他を寄せ付けない綺麗なメロディに芯の通ったリズム隊が揃い、これまでリリースされたアルバムにあったシロップらしさがそのまま詰まっていて、「ああ、これがシロップです」と、一番人に勧めやすいのかもしれない。
「生きているよりマシさ」
ほとぼりが冷めたら また奮起して
やり直せるなんて 甘いこと考えてた
周りを見渡せば 人影は無く
憐れみが入り混じった 笑顔と共に
やっぱりどこか「音楽」と決別はできないまま過ごしていたのか。自分にとってシロップというバンドは特別で、こんなに想うことをただ並べ歌う人はなかないない。好きな人はとことん好きで、そうでない人には理解できないことも分かっている。そんな好みを選ぶバンドがまた新しい曲を出す可能性ができたことが一番嬉しい。嫌になるまで好きな音楽を好きなように鳴らして、好きなように歌ったらそれでいいよ。
「旅立ちの歌」に込めた希望や未来をリスナーは待つことしかできないけれど、オリコンウィークリー8位になる程、多くの人が待っていた。こんなに関係者が待ってたのもなかなかいないんじゃないか。おかえりなさい。
かめ(@kame16g)