七尾旅人『911FANTASIA』
かつて、英誌『ガーディアン』が忌野清志郎を取り上げたことがあった。清志郎が日本の国家である「君が代」のパンク・アレンジを発表した時だ。この清志郎の試みを、かつてセックス・ピストルズが「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」を歌った事と比較し、日本のメディアがあまりにもこの試みを取り上げなさ過ぎる事態を嘆く、という内容だったらしい。これに関しては賛否両論あるだろう。音楽に必ずしも社会や政治を批判する要素が含まれていなければいけないなんてことは全くない。まして日本はそういう傾向が少ない気がする。一方で、これまでどのミュージシャンもやってこなかった行為をした、という意味で清志郎に賞賛の声が挙がっても不思議ではない、とも思う。しかし、この記事に一言もの申すなら、『ガーディアン』はもう一つ、賞賛すべき作品がある、ということだ。それは2007年に発表された、七尾旅人の大作『911FANTASIA』である。日本で唯一あの忌々しい事件について言及しされ、「音楽」の新しい可能性を見出した作品。清志郎とは全く違う形で、彼は世界に「NO」を突きつけたのだ。
あのタナソーをして「98年世代最後の大物」と言わしめた七尾旅人は、これまでに類を見ない、奇作と言うべき(?)作品を次々と世に放ち、各音楽誌から評価され続けた。そしてそんな彼の最長にして最大の問題作がこの『911FANTASIA』である。なんと3枚組、2時間51分。しかもおじいちゃんが孫に歴史を語るというスキットを何度も挟み、壮大かつ難解なストーリーで綴られる。間違いなく人を選ぶだろうし、それまでの七尾が好きな人からは敬遠されがちな作品だ。しかしこの問題作が、この日本から発表された事を私は誇りに思う。この作品で七尾が成し遂げた快挙は2つ。世界中の人類は「ファンタジー」にとらわれ続けていると主張したこと、そしてまだまだ未開拓の音楽の「荒野」に目を向けたことだ。
この物語は、1969年まで遡る。アポロ11号が人類初の月面着陸に成功し、アメリカが事実上冷戦に勝利した年。しかし七尾は、この月面着陸を「キューブリックが仕掛けた捏造」と言い切る。そしてその捏造により生まれた虚構、そこから広が幻想、「ファンタジー」が世界を覆い尽くし、アメリカは世界一の大国となる。そして32年後、あの悲劇を境に、再び「ファンタジー」に覆われたアメリカは中東へ攻撃を仕掛ける……。そう、七尾は歴史が「ファンタジー」に左右されていると歌うのだ。誰もが幸せになりたい。悲劇を避けたい。その思いが世界中で擦れ違い、「ファンタジー」は生まれる。そしてそこから悲劇が生まれる。何と悲しい物語だろう。しかし的外れではない。大統領だってテロリストだって、「正しい」と信じて行動している。そして何が正義で何が悪かは人によって違う。人間が人間であるが故に「ファンタジー」は生まれてしまうのだ。
しかし七尾おじいちゃんは決して血を流す戦争を肯定しない。銃や爆弾ではなく、戦いの手段に「音楽」を用いる。
やがて、こう思うようになったんじゃ。
音楽はまだまだ、戦える、と。
軍隊よりも遥かにそれは、強いはずなのじゃ。
武器は死を生むがしかし、音楽は生を生む。
音楽は、まだまだまだまだ戦える。
この台詞にこの作品のメッセージは詰まっていると言えるだろう。武力に音楽の力で対抗する。武器は殺すが、音楽は生かす。擦れ違いを繰り返し、本質ではなく「ファンタジー」のみを見るようになってしまった彼らに、共存ではなく生存を選んでしまった彼らに、七尾はあくまでも音楽で対抗する。
これまで膨大な数のメッセージを音楽に込め(事実1st『雨に撃たえば...!disc2』ではあまりにも情報が多すぎて溢れてしまっているようだ)、発信してきた彼は、音楽でのみメッセ-ジを伝える事が出来ると信じている。時に弾き語り、時に豪華なアレンジを加え、七尾は「失われた二十年」と戦い続けていた。
そしてとうとう、彼の目は世界に向いた。冷戦以降世界を支配している「ファンタジー」へ対抗したのだ。そんな七尾おじいちゃんが迎える衝撃の結末は、皆さんの耳でぜひ聴き届けて欲しい。私も思わず息を呑んだ。そして涙した。未だかつて、ここまで必死にメッセージを紡ぎ、音楽によって戦おうとした音楽家がいるだろうか。彼はまだ誰も成し遂げてない事へ挑戦しているのだ。音楽のまだ知られていない姿。音楽の「荒野」の開拓。音楽は戦う事も出来たのだ。
この大作は、一人の音楽家の戦いの記録なのだ。社会に、日本に、そして世界に必死にメッセージを伝えようとした七尾旅人という音楽家の戦いだ。大袈裟と思われるかもしれないが、ここまでの覚悟に満ちた作品は他にない。2007年はゆらゆら帝国が『空洞です』でゼロ年代に「無気力」という答えを出し、くるりは『ワルツを踊れ Tanz Walzer』で世界の音楽との「融合」を果たした。七尾は「無気力」でも「融合」でもなく、「戦い」を選んだ。そして今尚、彼の戦いは続いている。しかし本作は間違いなく音楽の幅を広げた。次世代のミュージシャン達も彼の覚悟に続く事を望んでいる。音楽の「荒野」はまだまだ広がっているのだから。
HEROSHI(@HEROSHI1111)