森は生きている『グッド・ナイト』
ここ最近、東京インディー(その名称が適当なのかは知らない)の代表的存在になりつつあるバンド、森は生きているの2ndアルバム。はっぴぃえんどやキセル、くるりなどの日本語ロック/フォークを思わせる前作と比較して、サイケ、プログレ寄りになったと評されている。また実際自分が聴いた上で一番最初に頭に浮かんだのはビートルズの『Rubber Soul』だった。
プログレという形容詞はおそらく17分を超え、4部構成になっている「煙夜の夢」によるものだと思う。実際、この曲は並外れている。レコードオタクではないので詳細な元ネタまではわからないし、それを羅列するのが適当なのかさえわからないけど、ビートルズ中期から晩期までを、クィーンの「Bohemian Rhapsody」を思わせる力技でまとめ上げながら、ポップミュージックであることをまったく意識していない。にも関わらず、17分聴かせてしまうのがとにかく圧巻。時間があっという間に過ぎる。
森は生きている『煙夜の夢』
ただどうなんだろう?自分は元々インディー周辺の音楽を好んで聴くような人間ではないし、今回、森が生きているがやったことは、僕のような畑違いのリスナーを引き寄せることはあっても、そちらの音楽を好んで聴く人に手放しで受け入れられるのだろうか?正直わからなかった。余計なお世話といえばそうなんだけど。
そもそも森は生きているの音楽はわかりにくいと思う。インディ・フォークを主軸に据えつつ、日本語ロック、プログレ、ハードロックなど様々な要素を巧みに盛り込みながら、それをとっかかりにして楽曲を明解にしようという意識が感じられない。曖昧なものを曖昧なまま、どこまでもカテゴライズを嫌うかのようなその振る舞いは、リスナーに厳しい姿勢を強要しているとも言える。
ただそういう振る舞いが、傲慢な印象を与えているわけでもない。そもそも音楽とは一聴しただけで良さがわかるものとは限らない。楽しいのかどうかさえわからないまま、手探りで宝物を見つけるような感覚がある。昔、よさがわからないままビートルズやボブ・ディランを聴かされて、よくわからないままいつのまにか好きになっていたことがあったのだが、その経験に似ているかもしれない。レコードを求めてお店を回ることとか、ブックオフの100円セールから宝物を見つけ出すことにも通じる部分があるのではないか。
徹底的に整備され、聴く人の反応さえコントロールされているかのようなポップミュージックの工芸品には目もくれず、聴く人が何かを見つけてくれることを待っているような音楽の秘境。それが2014年の日本に残されているとは思わなかった。森は生きていた。
ぴっち(@pitti2210)