スピッツ『ハヤブサ』15年目のレビュー~パンクなバンドが最もパンクになった瞬間の記録~

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今年でメジャーデビュー25周年、来年には結成30周年を控えているバンド、スピッツ。私も小学生の頃に「ロビンソン」で彼らと出会い、以降、彼らの音楽とともに歳を重ねてきた一人ではあるが、そんな僕がスピッツの中で好きなアルバムを選べと言われれば『ハチミツ』や『空の飛び方』、『三日月ロック』など枚挙にいとまがないのだが、でも「彼らの中で最も重要なアルバムは?」と聞かれれば、間違いなくスピッツの9枚目のアルバムとなった『ハヤブサ』を選ぶ。なぜなら、スピッツがパンクなバンドであること改めて証明した作品であり、今もメジャーにてロックバンドの先端を走り続ける彼らの原動力ともなった作品だからだ。

スピッツは実にパンクなバンドだ。そんな事を言えば、「スピッツといえば「ロビンソン」や「チェリー」など良質なポップソングを生み出すバンドでしょ?」と、思われる方も少なくはないだろう。しかしながら、「スピッツ」というのを辞書で引く「唾を吐く」や「尖っている」という意味があり、草野もそれに感化されてこのバンドを始め、インディーズ時代には、ラモーンズの曲をコピーしたり、パンクバンドのように観客を煽る事もやっていたという。また、草野が初めてTHE BLUE HEARTSのライヴを初めて見たときに「やりたい事を全てやられた」と衝撃を受けて、音楽活動を休止に追い込まれたこともあった。この事からもわかる通り、彼らがやりたかった事は結成時からパンクとは親和性のあるものだった。

さて、THE BLUE HEARTSに衝撃を受けて以降、草野はドノヴァンなどの影響を受け、メジャーデビューをし、『スピッツ』や『名前をつけてやる』等を生み出していく。バンド・バブルがはじけ、ロックというもが、うるさいもの、叫ぶもの、だとイメージがついていた当時、スピッツはメインストリームにあったロックとは逆行した音楽作りでもあった。より具体的にいうと、歌謡曲という物に軸を置いて、当時の洋楽とリンクした音作りをしており、それは今から考えると、日本におけるオルタナティブ・ロックの先駆けと言っていいのかもしれない。このような音楽をやっていた背景にも、彼らの持つパンクの精神から来ているようにも感じられる。そもそも、オルタナとパンクというのは非常に密接した関係があり、これは僕が語るよりもソニック・ユースのサンストン・ムーアの言葉を使った方が説得力があるので引用する。

俺たちがやろうとしてることってのは、人々がオルタナティヴ・ロックに期待しているものを、いかにして裏切ってやるかってことなんだよ。セックス・ピストルズが20年前にやろうとしたのも、まさにそういうこと(オルタナティヴに対するオルタナティヴ)だったんだ。
ある時、ジョニー・ロットンがインタヴューで「俺たちみたいなバンドがもっと出てきてほしい」って言ったら、次の瞬間には、彼らのコピー・バンドみたいな連中が山のように出てきた。すると、その後のインタヴューで、ジョニーはこう言ったんだ。
「違う、違う、そういう意味じゃない、俺たちみたいなサウンドを演るバンドが出てきてほしいんじゃない、俺たちみたいなやり方でやってほしいんだ、メインストリームとは関係なく、自分達のやりたいようにやるってことだ。」だってさ。

俺が言いたいのもそういうことなんだよ。

さて、話題をスピッツに戻そう。笹路正徳がプロデュースした『Crispy!』以降、スピッツの楽曲は飛躍的にサウンドはポップになる。しかしながら、例えば「スパイダー」が全編ストーカーの話であったり、「空も飛べるはず」でこの世の中を“ごみで煌めく世界”と揶揄したり、「ラズベリー」のようにSEXのことを歌ったりと、歌詞を咀嚼すれば大衆性とは全くかけ離れた事を素敵なメロディーラインに入れ込み、ポップ・ソングとして落とし込んでいたわけである。それはこの時期のインタビューで草野が

ミスチルL⇔Rと一緒のことじゃないんだよ、スピッツは」

と、自らは良質なポップソングを作るバンドではない事を語っている事からもわかるように、どんなにポップになろうとも常に尖っている存在、パンクなバンドでありたい気持ちの表れが投影されていたようにも思える。

さて、そんなスピッツがポップスを作るバンドとして定着したその時に出たのがこの『ハヤブサ』であった。たぶんスピッツが好きな人なら『ハヤブサ』を聴いた瞬間、「スピッツってこんなにロックだったかな」と誰しもが驚いたと思う。例えば「いろは」におけるスピッツとは思えない太くラウドな音像や「8823」における周りをなぎ倒すくらいの全速力で駆け抜けるロックサウンド、「メモリーズ・カスタム」では草野のボーカルに冒頭からディストーションをかけ、歪ませつつパンキッシュな作りにしているなど、このアルバム自体が“それまでスピッツがやってきた事へのオルタナとしての作品”という言葉が適切な作品となっている。プロデューサーが同世代であり元Spiral Lifeの石田ショーキチであったことから、以前よりもロックな作品になることも理解はできるのが、何故いま、この段階で再びパンクスピリットのボルテージを上げるような作品を作ったのか。その理由を話すには彼らのベストアルバムである『RECYCLE Greatest Hits of ZTIPS』について語らないといけない。

「ベスト盤は解散するときに出す」

1999年に出たアルバム『花鳥風月』のインタビューでの一言である。このアルバムはシングルのカップリング曲やインデーズ時代の曲を集めたアルバムであり、ベスト盤はベスト盤でもB面を中心に据えるあたりパンクなバンドとしてのスピッツが見える作品である。しかし、それから1年経たないうちにベストアルバム『RECYCLE Greatest Hits of ZTIPS』がでた。勿論、スピッツが解散したかったわけではなく、メジャー・レーベルが勝手にベストアルバムを出したわけである。この時のスピッツといえば新たなるサウンドを模索しアメリカへ向かい、トム・ロード=アルジのミックスに出会い、マスタリングにスティーブ・マッカーセンという今後のスピッツサウンドの肝となる人物を見つけだした時期であった。いよいよ新しいスピッツがこれから始まろうとしていた最中だったこともあり、彼らの落胆は大きかった。

「本当に解散しようか」

メンバー間で話し合いの場が設けられて、結論、彼らは同じ場所から音楽を発信していくことを決意し、そして出来たのが『ハヤブサ』なのである。

つまりは『ハヤブサ』というアルバムは自分たちを裏切られた人間への反動であり、反骨精神が揺さぶられる状況であったからこそ、スピッツのもつパンクが最大限に引き出されたように感じる。そして、この事件を通して、これから音楽に向き合っていく決意は「メモリーズ・カスタム」でも歌われている。

嵐が過ぎて 知ってしまった 追いかけた物の正体
もう一度 忘れてしまおう ちょっと無理しても

この楽曲は当初シングルとして出されていた「メモリーズ」を文字通りカスタムした曲であるが、この歌詞は「メモリーズ」には無い。つまりはベストアルバムが発売されてからのメジャーレーベルに対しての率直な言葉なのであろうと思う。今までのことは一度忘れて、『ハヤブサ』というアルバムから新たな気持ちで走りだそう。それはこれからも音楽を続けていく彼らの宣言であり、同時にスピッツというバンドが新たに生まれ変わった瞬間でもあるのだ。

あれから15年。今でも、スピッツは第一線で活躍して僕たちに音楽を届けてくれている。あのとき、『ハヤブサ』を生み出さなかったたら、そして本当に解散してたら今のスピッツは存在しなかったであろう。

誰よりも速く駆け抜け愛と絶望の果てに届ける音楽。

ハヤブサ』があるから今がある。

ハヤブサ』があったからスピッツがいる。

www.youtube.com 

 

 

あとがき

スピッツハヤブサ』のレビューどうでしたか。さて、多分読んだ人は誰もが思った「どうしてこのタイミングで15年前の作品をレビューしたのか?」について軽く話をしたいと思います。このブログの管理者でもある、ぴっちさんからの希望もあったので(笑)

僕はこのブログで書く以外にも『ki-ft』ってサイトでレビュアーをやっています。

ki-ft.com

『ki-ft』というサイトはそもそも『岡村詩野音楽ライター講座 京都校』の生徒が中心で立ち上げているサイトなのですが、そのライター講座でスピッツスピッツのプロデューサーの竹内修さんがゲストで来たことがありました。その時に『ハヤブサ』をレビューしようと思ったのですが期限に間に合わず、書きかけのまま放置していました。その後、10月頃にRO69で蜂須賀ちなみさんの『ハヤブサ』のレビューを見て、「なるほど、そう書くか。でも、俺ならこう書くんだけどな」っていう気持ちがあって、もう一度書いたら3000字超える内容になってしまったと。

今時『ハヤブサ』かよって思う人もいるかもしれないのですが、例えばレビューの中でも触れているベストアルバムのような事例は今でもあります。それに対して、「その場に残り『ハヤブサ』を作った」ことはスピッツというバンドとして考えても、メジャーで戦うバンドとして考えても一つの正解に思えて、それも兼ねて文章にしてみました。

さて、来年でバンド結成30年。スピッツがこれからどんな音楽を私たちに届けてくれるか今から楽しみですね。

 

ゴリさん (@toyoki123

ki-ft ダラダラ人間の生活