サカナクション『834.194』
サカナクションの6年ぶりのオリジナルアルバム。先に書いてしまうけど僕の中では現時点における2019年のベストアルバムです。
既発曲が新鮮に聴こえる
一番驚いたのは既発曲が新鮮に聴こえること。CD2枚組収録時間1時間29分全18曲という大作だが本当に退屈する時間がなかった。実質的な新曲は7曲、それに加えリミックスとアレンジ違いが3曲、つまり既発曲は8曲もある。収録内容の発表時点ではそれが批判されていたし、さすがにベスト盤にも収録された「新宝島」を今さら収録する意味を個人的にも掴みあぐねていた。だけどアルバムの曲順で聴くと印象ががらりと変わるのだ。「多分、風。」も「新宝島」も今まではシングル曲としての側面、例えばフェスの盛り上がる場面で演奏されるといった要素が色濃く出ていたが、このアルバムの曲順で聴くと思っていた以上に踊りやすいことに気付かされた。
それはアルバムの構成が抜群に良いからだろう。ディスク1の3-5曲目に既発曲を配置しているが、それらをリードする新曲の流れが完璧なのだ。おそらく既発曲のリズムから逆算して制作したと想像するが、結果としてゆるやかなテンポの新曲から繋がることで、既発曲のリズムの繊細さが際立ち、印象がガラりと変わる。これは個人的にはじめての体験だったし、ここまでシングルとアルバムで曲の印象が変化するのはポップミュージックの歴史においてもそれほど多くないと思う。それはディスク2の「グッドバイ」以下の既発曲3連発でも同様だ。おそらく大半のリスナーはスマホやPCのプレイヤーでディスク1とディスク2が直接繋がると思うが、例えCDプレイヤーでディスクを取り替えて聴いたにせよ、構成で曲の印象が変わるのは間違いない。
結果論ではあるが、アルバムでの見せ方が優れているがゆえに、サカナクションがシングル曲を出す意義が証明されたと言える。
それに加えて今作ではリミックスをボーナストラックとしてではなくオリジナルアルバムの本編に組み込む手法も意欲的だし、「セプテンバー」の「東京 version」と「札幌 version」を同時収録する試みも、タイトルの『834.194』の謎解きに絡めて、リスナーに楽しい謎解きを提供している。
音楽が一人の才能に依存する時代を終わらせてしまった
問題はなぜそのようなことができたのかだ。それは今のサカナクションが山口一郎の才能に依存したものではないからではないからだ。
とは言え作詞作曲は山口によるものだし、彼が不在になればサカナクションというバンドが成り立たないのは間違いない。しかし同様に今のサカナクションは今のメンバーでなければ成立しないのだ。仮に山口がメンバー全員をクビにして金に糸目をつけずに腕利きのミュージシャンを集めたとしてもこのアルバムの高みには到達しない。2009年の『シンシロ』の時点で各メンバーがアレンジを担当し、前作『sakanaction』の時点でメンバーとエンジニアにマスタリングと曲順づくりを任せられるレベルのチームに成長することで、今のサカナクションができあがった。
つまりこのアルバムは、音楽が一人の才能に依存する時代が終わってしまったことを高らかに告げているのだ。
もちろん、そんなことはとうの昔からわかっていた。宇多田ヒカルは『HEART STATION』以降、プロデューサーを招聘する作品を作りを出したし、作曲でも外部の人間とコラボした。椎名林檎はソロで3枚のアルバムを作り終えた後、東京事変を結成し自身が100%作詞作曲を担当することをやめた。制作において何から何までやってしまうアーティストを否定はしないが、ポップミュージックにおける分業はもう何年も前からの当たり前のように行われている。
誤解を恐れずに言えば、山口のソングライティングが今作において著しく成長した印象はない
サカナクションの場合、山口一郎以外のメンバーの領域が増えるとどうなるか。単純に山口が作曲・作詞に割ける時間が増える。そしてサカナクションが山口の変化だけに頼らなくて済むようになるのだ。
誤解を恐れずに言えば、山口一郎のソングライティングが今作において著しく成長した印象はない。むしろ『DocumentaLy』の段階で彼のソングライティングはほぼ完成している。では今作において何が大きく変化したのか。それはやはりチームとしての総合力だ。アレンジ、マスタリング、構成が研ぎ澄まされている。曲と曲のつなぎ目が異常なまでに美しい。
それはとても奇跡的なことだ。90年代ならソングライターはバンドで自身のエゴが実現できないと感じ、バンドを休止してソロ活動を始めた。00年代ならバンドをソロプロジェクト化させることでより挑戦的な楽曲を作るようになった。でもサカナクションは今でもソロ活動を行わず、オリジナルメンバーのままでバンドが続いてる。山口がバンドを瓦解させることもなく、かといって他のメンバーが山口を消耗し尽くすこともなく、全員が音楽制作において影響力を持つ奇跡的な体制が整った。
もちろんだからといって完璧ではない。シングルが作られすぎる。アルバムが全然出ない。やたら時間がかかる。でも今作はそれを余り補うだけのものだ。
結論
『834.194』は既発曲が多数収録されているにもかかわらず、新鮮な体験をもたらすための新曲及び構成が練りに練られ、なおかつ本編にリミックスやバージョンを違いを組み込むような挑戦にも満ちた意欲作だ。そしてそれはサカナクション全体のチームでの成長によるところが大きいと思う。僕は「忘れられないの」冒頭のツリーチャイムの音で泣きそうになる。こんなにやさしいサカナクションは初めてだ。
ぴっち(@pitti2210)