真の友をもてないのはまったく惨めな孤独である。と言ったのはフランシス・ベーコンだがandymori時代の小山田壮平はそんな感じだったのかもしれない。もちろん自分の音楽を鳴らしてくれる信頼のおけるバンドメンバーはいたし、長澤知之という親友もいた。でも、あの頃の彼はいつも孤独と隣り合わせだったように感じる。
andymoriを語る上で"楽園の在処"という視点がある。彼らは「Life Is Party」で
楽園なんてないよ 楽園なんてあるわけない
と歌い、『革命』の「楽園」ではここではない世界、すなわち黄泉の国が楽園であると歌っている。『光』の「クラブナイト」ではクラブという場所に楽園を見出しているのだが、その場所は現実逃避と孤独な自分を慰める場であり、仲間を集う歌でもあった。
このことを考えると、小山田壮平は現実という世界の中で心が休まる場所を見失い、それを探しながら音楽を続けていたのだと思う。今でも思う、もし『光』の段階で無理やりでも活動休止をすれば、彼が孤独と向き合う時間さえあればandymoriは生まれ変わり、解散もしなかったのではないかと。だからALを聴いた時には嬉しかった。僕が望んだ"if"の形が現実のものだったからだ。
『心の中の色紙』は「北極大陸」という曲から始まる。そこで彼らは
桜の木の下で、僕は程よい長さのロープを首に巻き
BYE BA BYE BA BYE
と歌い、過去の自分たちに別れを宣言する。そして、「HAPPY BIRTHDAY」では軽快なロックンロール・サウンドに合わせて、あなたがいる事の幸福を歌い、「あのウミネコ」では元には戻れない過去の淡い恋愛を振り返り、「心の中の色紙」では
心の中の色紙にかくよ
もう死なないようにと念を押しながら
と過去の自分自身振り返り、最後の「花束」では何度も
みんな愛しているよ
と歌う。
孤独と寂しさにに寄り添い歌ってきた過去とは違い、ALは孤独や寂しさは歌わない。それらを受け入れた上で人生を肯定している。それは、小山田壮平が死というものに直面して、再び生を取り戻していく中で、自らの孤独と向き合い純粋に音楽を楽しみたいという一つの結論でもある。そのように考えれば、長澤知之、そしてandymoriを支えたバンドメンバーである藤原寛、後藤大樹という自分のことをよく知る友人達で構成されているのも納得がいく。
すべての不安や絶望を受け入れてポジティブな音楽を鳴らすALの『心の中の色紙』。友人が無ければ世界は荒野に過ぎないが真の友人を手に入れた小山田壮平の目の前にあるのは荒野ではない。楽園である。
ゴリさん (@toyoki123)