結束バンド『結束バンド』
結束バンドのアルバム『結束バンド』をずっと聴いている。2020年代のコンセプトアルバムとして金字塔と言える作品だと思う。
作曲にはLiSAの「紅蓮華」を手がけた草野華余子、音羽やZAQといったクリエイターから、日本のロックの当事者であるKANA-BOONの谷口鮪、tricotの中嶋イッキュウ、the peggiesの北澤ゆうほが参加した。それらの楽曲をLOST IN TIMEやla la larksの三井律郎、ONE OK ROCKのサウンドプロデュースでも知られるakkinがアレンジし、彼らを核とした固定のメンバー4人が演奏した。アニメからアイドル、YouTuberからロックなど幅広い音楽性を下北沢ギターロックの職人たちが仕上げているのが今作の特徴だ。
だから聴いていると2000年代の、いわゆる邦ロックと呼ばれる音楽の歴史を追体験している気持ちになる。メンバーの名字の由来となったアジカンをはじめ、バンプやテナー、バンアパ、UNCHAIN、それからtricot、赤い公園、KANA-BOONといった国内のロックを聴いていた頃の記憶が刺激される。それらの音楽が現代の声優の歌と交わるのはたまらなく刺激的だ。
ちなみにアルバムで屈指の人気を誇る「星座になれたら」についてthe band apartの影響を指摘する意見が多々見かけたが、アレンジャーの三井は座談会でデモにはエレピが入っていてアレンジに悩んだことを吐露している。
「星座になれたら」のデモもエレピが入っていて、「どうしたらいいんだ……」と思いました。*1
バンアパが直接の参照元になったわけではない証拠と言える発言だが、むしろエレピが入るテイストの楽曲(ジャズ?)をギターロックにするとバンアパらしさが出ることを再発見したことに価値があると思う。まさに僕らはこのアルバムであの頃のロックの進歩を追体験しているのだ。
またこのアルバムは、アニメの先の結束バンドのひとつの可能性を描いた内容になっている。このアルバムには全14曲が収録されているが、実際にアニメの中で彼女たちが演奏した楽曲は4曲しかなく、名義こそ結束バンドではあるものの主題歌やイメージソングで構成されている。だが、今作はその4曲を出発点として、結束バンドがこれらの楽曲を作りうる可能性を提示し機能させている。その中核を担ったのがシンガーソングライターの樋口愛(ヒグチアイ)とZAQだ。ここでは樋口愛が手掛けた3曲を比較する。
あのバンドの歌がわたしには
甲高く響く笑い声に聞こえる
あのバンドの歌がわたしには
つんざく踏切の音みたい
(あのバンド)
「あのバンド」は第8話で実際に演奏された。この曲は主人公である高校2年生の陰キャラの後藤ひとりが書いた歌詞として違和感のない仕上がりだ。それが「ひとりぼっち東京」ではこう変化する。
さみしがり東京
みんなひとりきりなんだ
だからまた誰かと繋がり合いたいの
なんだっていいよ 好きなものや事ならハッピー
絶対共通言語があるよ
(ひとりぼっち東京)
陰キャ自体は変わりないが、後藤はこの曲においてメンバーの存在を素直に肯定している。そこに成長を感じるし、時系列的に数年は経過したと想像してしまう。そして「青春コンプレックス」ではさらなる成長を感じさせる。
かき鳴らせ 光のファズで 雷鳴を 轟かせたいんだ
打ち鳴らせ 痛みの先へ さあいこう 大暴走獰猛な鼓動を
衝撃的感情 吠えてみろ!
(青春コンプレックス)
ここまで来ると結束バンドはかなり売れっ子になっている印象なのだが、はたしてそのような未来が来るのだろうか?でも想像させられるのが楽しい。同様に山田や伊地知がボーカルの「カラカラ」や「なにが悪い」はどういう経緯で作られたのか、作詞は後藤以外の誰かなのか、実際には谷口鮪が手掛けた「Distortion!」を後藤が書く未来が来るのか、そんな妄想が止まらない。そうさせるように言葉と音が紡がれているのが本当にすばらしい。
結束バンドの『結束バンド』はアニメ、アイドルからロックを下敷きにした楽曲を本職の下北沢ギターロックの職人がアレンジし、そこに作品の声優が歌を入れた大クロスオーバーと言える作品だ。2000年から2010年代にかけてのいわゆる邦ロックを入り口に、架空の存在である結束バンドの現在と可能性としての未来が提示される。これは2020年代の『Sgt. Peppars』でもあり『Random Access Memories』だと思う。
このアルバムを聴いているとアーティストが作曲やボーカルでアイデンティティを見出す時代は終わりつつあるように思える。「結束バンド以前/以降」と呼ばれる可能性もある大傑作だと思う。何年でも待つので『結束バンド Ⅱ』をどうか何卒🙏
ぴっち(@pitti2210)はこのブログの管理人。ベストアルバムの集計中はこのアルバムに大変お世話になったけど、記事では書き手が集中したのでこのタイミングで書いたらまとめるのが本当に大変でした。
君島大空『映帶する煙』
君島大空の1stアルバム『映帶する煙』を聴いた。
これまでリリースされた『午後の反射光』『縫層』『袖の汀』の3作はどれも28分以内のEPという扱いで、今作が正真正銘の1stアルバムとのこと。
タイトルの『映帶する煙』の「帶」は「帯」の旧字体で、「映帯」とは「相互にうつりあうこと」を意味する。つまり『映帶する煙』とは「煙が相互に映り合うこと」、もしくはその状態を意味するのだと思う。
楽曲の作りについては2通りある。1つ目は合奏形態と呼ばれるもので、石若駿、King Gnuの新井和輝、それから西田修大を加えた編成になる。今作では「19℃」「都合」「No heavenly」がそれにあたる。もう1つは君島大空本人が様々な楽器を演奏しているもので、そこに石若駿が加わったり他の人が加わることもある。
作品を聴いて小林武史が手がけたLily Chou-ChouやYEN TOWN BAND、もしくは初期の椎名林檎、それからharuka nakamuraを思い出したが、彼が参照しているかはわからない。してない気がする。
歌詞については、わかるようでわからないというのが正直なところ。例えば「19℃」を取り上げると、
この世の果ての狭い部屋に流れ着いて
ふたり、頬を寄せて暮らせたら
喋らなくていいよ
数えなくていいよ
歩き疲れた僕らふたりきり
喋らなくていいよ(19℃)
気持ちはなんとなくわかるのだが、状況はまるでわからない。「この世の果ての狭い部屋」ってなんだろう?とか、数えるって何を?とか。もちろんこれはただの歌詞で、状況がわからなくても構わない。だけどアルバムを通して聴くと「作られた空」「古い海」「扉の夏」「夏の硝子」「鍵の増えた陽だまり」「時計の雨」など、よくわからない言葉が山のように出てくる。
とまあ、わかりにくい作品と断定することが容易なアルバムではある。活動開始から9年、デビューして4年目のアーティストの1stアルバムにしては売りにくそうな作品だと思う。「光暈」は再録されたが、サブスクでは人気の「向こう髪」「遠視のコントラルト」は入ってない。CINRAに掲載されたインタビューでは
「自分の人生の起点として、アルバムというもので仕切り直しをしようって」*1
と話していたが、どこが?というのが正直なところだった。最初は。
だが、やたら残るのだ。彼の音楽は心に残る。
確かに彼は僕らを煙に巻こうとしている。歌詞における状況描写はすでに体をなしていない。サウンドも編成の時点で2つに分かれるし、ジャンルの話をすればオルタナティブ・ロック、ブルース、フォーク、弾き語り、アンビエント、エレクトロニカなど多彩にも程がある。あとギターもどこかジャズ的だ。Joe Passを思い出す。彼の音楽で一貫しているのは、彼が楽曲を手掛け、彼自身が歌っていることくらいだ。曲ごとに印象もがらりと変わる。音の数も少なくはない。わけがわからない。
だけど、それでも彼の音楽は残るのだ。頭の中、いやまるで僕の日常の片隅に棲みついたかのように彼の声やギターの音色が残る。それがたまらなく心地よい。そして少しずつ君島大空という人がわかってくる気がする。
このアルバムの制作時点でおそらく彼は不特定多数の人間に求められる音楽を作ってはいない。彼は自分自身、もしくはごく少数の理解者のために作っている。見知らぬ誰かをハッとさせるような音楽を作ろうとはしていない。なぜなら彼は音楽家だからだ。音楽家とは良い音楽を作ることを生業にしていて、その意味において彼は真っ当な音楽を作ろうと試みたのだ。
そう気づいた(錯覚した)瞬間、煙が晴れたような気がした。このアルバムには様々な楽曲があり、そのどれもが違う顔を見せ、相手によって立ち居振る舞いを変える。君島大空は様々な表情を、敢えて一枚のアルバムに盛り込み、名刺代わりにしようとしたのではないか。
正直に感想を言うなら7割くらいは「シャイすぎないか?」と思いつつも、でも残りの3割くらいは天才だと思った。まどろっこしいことをしているのに、それでも残るものがある。それは天から与えられたものではないか。
このアルバムは、まるで聴く人を煙に巻くように音楽的にバリエーション豊かな表情を見せる。また歌詞の状況もわかりにくい。だけど最後にメロディが残る。混乱のトンネルを抜けたその先で、君島大空の音楽の良さを出会うことができる。
この先、彼の音楽はさらに洗練されていくだろう。だから彼は音楽を作っていてくれるといいなと思う。そうすれば僕みたいな人間は幸せになる。いつかどこかの海辺の街で彼と出会えたら「波浪」でも「Halo」でもなく、「Hello!」と挨拶したい。なんとなく。そんなことを妄想しました。彼の進む道に幸あらんことを。
ぴっち(@pitti2210)はこのブログの管理人。最近はレビューを書いてるせいで他のことが疎かになっていて少し不安。
カネコアヤノ『タオルケットは穏やかな』
カネコアヤノの6枚目のアルバム『タオルケットは穏やかな』を聴いた。
とにかく聴きやすい。以前より洗練されている。ロックとフォークが主体のサウンドであることに変わりはないが、シューゲイザーのような轟音、それからジャズ的なアレンジが導入され、全体的に多様になった。バンドに任せる部分が増え、相対的に彼女の歌が担っていた負担が軽減されたのだと思う。以前のような鋭さが影を潜め、穏やかな雰囲気が漂っている。
また制作時点において武道館公演やZepp、ホールツアーを控えていたことから、より多くの人に聴かれることを意識していたのかもしれない。以前のような聴く人と一対一で対峙するような圧迫感が和らぎ、より多くの人に届く音楽になった。
というわけで、最高到達点と言える作品だが、最高傑作かは正直わからない。僕自身は一番好きな作品なのだが、人によっては『燦々』の方が好きな人もいると思う。ビートルズの『Beatles For Sale』と『Revolver』を比較するようなもので、どちらも良い作品であることに疑いはないが、そこから先は好みとしか言いようがない。まあ間違いなくいい作品だとは思います。
歌詞についてだが、誤解を恐れずに言えばアルバム全体に統一したテーマがあるとは思わない。愛、不安、気分、後悔など、率直な思いを書き記している。情景が目に浮かぶものもあるし、よくわからないものもある。
個人的には「季節の果物」の歌詞がとても好きだった。
優しくいたい
海にはなりたくない
全てへ捧ぐ愛はない
あなたと季節の果物をわけあう愛から(季節の果物)
一瞬、加山雄三の「海 その愛」へのアンサーなのか?と思いつつ、愛が無尽蔵ではないことをわかりやすく記している歌詞だ。人類愛のようなものがかつて社会に実在したであろう頃の記憶はすでに忘却の彼方だが、よりミクロというか、手の届く範囲を大事にする感覚はとても今に根ざしていると思う。とても素敵だ。
他方、表題曲の「タオルケットは穏やかな」の歌詞はよくわからない。
いいんだよ 分からないまま
曖昧な愛
家々の窓にはそれぞれが迷い
シャツの襟はたったまま(タオルケットは穏やかな)
自身が「曖昧な愛」と歌っているように何が言いたいのかわからないし、多分この歌詞の主人公もわかっていない。加えて、なぜ「穏やかなタオルケット」というタイトルでないのかもわからない(※多分ダサいから)し、「タオルケットが穏やかってどういうこと?」とも思う。
だが同時にカネコアヤノは「いいんだよ 分からないまま」と歌う。彼女の半音ずれたような特徴的でデカい声で力強く歌われると、そうかな?と思ってしまう。よくわからないけど納得させられる。言葉全体が厳密につながっていなくても、単語の一つ一つでイメージが想起させられてゆく。
このやたら説得力のある歌声こそがカネコアヤノの本質だと思う。それは僕が彼女のライブをはじめて観た2019年のOTO TO TABIというイベントの時から変わっていない。あれから4年経ち、彼女もバンドも成長し、メンバーも変わり、そして彼女の歌う内容も変化した。良い方向にも悪い方向にも解釈できるし、それは聴く人の自由だ。だけど僕には、あの時よりもタフで楽しそうな彼女が目に浮かぶ。アルバム単位でこれほどまでに聴きやすく、同時に充実したものはこれまでなかった。
音楽的に多彩になり、多くの人に届くまでに洗練された。彼女のやたら豪快な歌声は、まるで魔法のように聴く人に満足感をもたらす。そして今を生きる彼女の世界が丁寧に描かれた今作は、2023年のまごうことのない傑作だと思う。
カネコアヤノの歌を聴いていると、真っ当に生きたい、彼女の側に立っていたい、と思う。そうじゃない生き方を思いつくわけではないが。でもなんとなく。
ぴっち(@pitti2210)はこのブログの管理人。今年はこのブログに音楽の感想を放り込んでいきたいと思ってる。ベストアルバム公開後はだいたいいつもそう思っているけど実際に投稿するのはかなり久しぶり。