大森靖子『洗脳』

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大森靖子のメジャー1stアルバム『洗脳』についての合評です。2013年に2枚のインディーズでリリースし、その音楽ファンを唸らせる音楽性で話題を集めながら、まさかのエイベックスでメジャーデビュー。昨年のフェス出演での豪快なパフォーマンスや発言が何かと話題を集める彼女は一体どういうアーティストなのか、僕らなりに考えました。よかったら読んでみてください(ぴっち)

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大森靖子の音楽の魅力はやはりその不敵な態度にあると思う。彼女はリスペクトしてやまない椎名林檎の2nd『勝訴ストリップ』がすぐに思い浮かんだ。 

勝訴ストリップ

勝訴ストリップ

 

そもそも椎名林檎の『勝訴ストリップ』が爆発的にヒットしたのは1st『無罪モラトリアム』の評判もさることながら、それ以前にリリースされた『本能』『罪と罰』『ギブス』のシングル3作がその導火線となっていた。また、それらがアルバムで新たに手を加えられていたこと、そして1枚のアルバムでありながら一つの楽曲として機能するように練られたアレンジされていたこと、それらの要因が結びつくことでリスナーを魅了し、ダブルミリオンにつながった。

それらと比較すると、残念ながら大森靖子は当時の椎名林檎ほど恵まれた状況にあるとは言えない。MVこそ5曲分制作しているものの、実際にリリースしたシングルは『きゅるきゅる』のみ。悪い曲ではなかったが(むしろすごく良かった)、世間一般を巻き込むほどの話題性を持つタイプの曲でもなかった。 

そして二人の違いを端的に表しているのはアルバム冒頭の「絶対絶望絶好調」のこのフレーズだと思う。

絶対絶望絶好調 ごめんね素直にしか言えなくて
さよなら あんなに好きだったけど
きれい きもい きらい

この拒絶感こそが大森靖子の本質であり、最後まで共感できない断絶だと思う。

とはいえ男にとってそもそも女の子がわけのわからない生き物だったことは今に始まったことではない。それこそ前述の椎名林檎浜崎あゆみCocco鬼束ちひろ宇多田ヒカルaikoYUKI、それからpizzicato five中島みゆきなど上の世代も含めて、基本的に女は男にとってわけがわからない、不可解で理不尽極まりない存在だ。

ある意味その頂点に君臨していたのが椎名林檎わけなのだが、そんな彼女でさえこう歌っている。

行かないでね
何処にだってあたしと一緒じゃなきゃ厭よ
あなたしか見て無いのよ
今すぐに此処でキスして(ここでキスして。)

 そう。ラブソングを歌ったか否かこそが、今の大森靖子とあの頃の椎名林檎と分け隔てる最も大きな違いだと思う。それを許さない彼女の激しさを感じる。

 

大森靖子はインタビューでこう話している。

『ここのところだけは譲れない』っていうものを持ってる人が、そこのところだけは自由にできるような環境にならないと嫌だなってのがあって(中略)私が暴れることで、それを見て『あ、やっていいんだ』って思う人が出てくればいいなって。(MUSICA 1月号 Vol.93)

彼女は基本的に「戦う人」のために戦っている。彼女が戦うことで、少しでも誰かが自由になれることを目的に音楽をやっているのだろう。少しでも自由になることは、ロックにおける最も大きな恩恵の一つだと思う。「恋と愛」「自由と不自由」「死と生」「天国と地獄」などありとあらゆる断絶を飛び越えることがロックの最も大きな売りだ。

しかし言葉を紡ぐことでその断絶を超えるストーリーを提供するのが旧来のアーティストだとすれば、大森靖子は明らかに自らの言葉で目の前のリアルなお客さん、リスナーをダイレクトに変えようとしている。楽しいひと時を提供することで現実を忘れさせるのではなく、僕たちの現実を本当に直接変えようとしている。その意志を授けている。

食べかけの愛にラップをかけて
あなたはいつまでとっておく気よ
腐っちゃうのを試してるんでしょ
かわいい人ね(きゅるきゅる)

そんな歌くらいでお天気くらいで
優しくなったり悲しくなったりしないでよ(ノスタルジックJ-pop)

30分だけスターになりたい スイカのチャージは1000円だけでいいから
君のかなしみを全部 ぽーいしてあげる力が欲しいよ(ロックンロールパラダイス)

家家コンビニ家コンビニ家 いつのまにやらゴールド免許(私は面白い絶対面白いたぶん)

生きてるって実感できちゃうような エロいことをしよう(デートはやめよう)

一撃必殺できるようなキラーフレーズをマシンガンのように浴びせる彼女の姿は一介のJ-POPシンガーからは程遠い。自らの理想を実現すべくJ-POPをはじめとしたありとあらゆる手段を講じる革命家、それこそが大森靖子の本質なのだろう。彼女の洗脳はまだ最初の一手に過ぎない。

 

 

 ぴっち(@pitti2210

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とてもおもしろいアルバムだ。そして僕にはわからないことだらけ。

『洗脳』は「大森靖子がJ-POPを作るとこうなる」という点において優れたアルバムだ。意図的ではあるが、音の作りが派手だ。「絶対絶望絶好調」と、それに続く「イミテーションガール」を聴けば、このアルバムの派手さとジャンク感は伝わるはず。

ジャンクさは楽曲の振り幅だけではなく、一つの曲の中のメロディーにも表れている。「焼肉デート」を聴いてみて欲しい。《運命を~》で歌われるメロディーは浜崎あゆみを意識していると思った。その後に続くサビはJUDY AND MARYのようである。この2つのメロディーを1曲の中に違和感なく、いや、むしろその違和感さえも武器としてしまうような曲が『洗脳』では何曲も生まれている。

個人的な感想だけど『洗脳』は全曲を通して「女の子」の歌だと思っている。そして僕がわからないのはこの「女の子」はイコール「大森靖子」ではないように感じるということである。

 

歌詞が素晴らしかった。『洗脳』では相反するものを表現している歌詞が多い。ネガとポジ、きれいと汚い、かわいいとかわいくない。相反するものは時にぐちゃぐちゃに僕らの日常に混ざり合っている。幸せな日常を暮らしているはずなのに自分は空虚だと気づいてしまうこともある。きっと彼女もそれに気付いている。だから彼女の曲には「大好きだけど大嫌い」という相反する気持ちが並べられている。

ただ今回はそれが大森靖子本人の表現に思えないのだ。僕は「音楽を捨てよ、そして音楽へ」という曲が大好きなのだけれど、あの曲は大森靖子だからこそできた曲だと思う。

ただ、『洗脳』では何度聴いても、大森靖子の顔が見えて来ない。

おそらく意図的に見せていないのだろう。大森靖子は今回の『洗脳』で「女の子の心」を歌いたかったのではないだろうか。このアルバムにはいろいろな「女の子」が登場する。それらの女の子のイメージを歌うために大森靖子は自らをアイコンにしているのではないか。つまり自らを操り人形のようにして表現しているのだ。それを裏付けるように、今作の大森靖子の歌声はいつにもましてキュートで恐ろしい。

仮に今回の『洗脳』のテーマが「女の子」だとしたら、僕がわからないのも当前である。僕は男の子であり、女の子の気持ちなんてこれっぽっちもわかってなんていないのだから。だってさ、

困ってる顔がだいすきだいすきだいすきだいすきだいすきだいすきだいすき
…傷ついてよ。(子供じゃないもん17)

だよ?そんなのわかるわけがないよ。

もしかしてこの考えも結局大森靖子の手のひらの上で転がされてるだけなんじゃないか。まったく『洗脳』というタイトルよろしく、大森靖子のことで頭がいっぱいになってる。

 

 

うめもと(@takkaaaan

takkaaaan blog

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愛してるなんてつまんないラブレターマジやめてね?世界はもっとおもしろいはずでしょ?

この「絶対絶望絶好調」の最初の歌い出しで、大森靖子はこれまでのJ-POPで使われてきた「愛してる」などの感情表現を、「私はもっとおもしろく・上手く言える」と言い表し、J-POPへ挑戦状を叩きつけた。これから私はメジャーの世界でおもしろいことをすると。

彼女ほど日常生活の情景や日常で使われている言葉を使いこなせる人はいない。アコギ一つでステージに立ち、観客の耳や視線を一人で受け止め続けてきた彼女は、言葉の並びや響きを大事にしてきた。一人で立ち続ける上で、「愛してる」なんて使い古されたフレーズをいくら並べても、観客の耳にも心にも少しだって届かなかっただろう。それならば、他の言葉や伝え方(これにはステージングも)を常に意識するしかない。彼女の歌詞を眺めるだけなら、曲にどう乗せるのかさえわからない時もある。

前作のリードトラック「ミッドナイト清純異性交遊」では、彼女の敬愛するモーニング娘。の道重あゆみへの思いを曲にした。「愛」のフレーズは一つもないが、誰が聴いても無駄のない愛を歌っている。

この曲の収録されている前作『絶対少女』では、弾き語りやライブでの映え方を意識して作られた曲をアルバムに落とし込んだ。

絶対少女

絶対少女

 

しかし今作『洗脳』ではライブに足を運んでない人も意識している。ライブで演奏することを意識せず、とにかくアルバムの完成度としてきれいで耳残りの良い曲を並べた。

また、言葉の並びは、聴き手の日常に寄せた耳あたりの良さもある。情景はこれまで以上に想像しやすく、日常使用している言葉も口ずさみたくなる。アルバムを通してロック、ノイズ、ユーロビート、弾き語りと、これまでのJ-POPで鳴らされてきた曲を多用しているのも「私はこれだけできますよ」とシーンを意識して呈示しているように思える。

 

例えばSEKAI NO OWARIのように緻密に計算された世界観を作り上げることや、アイドルのように演じることは、ここ最近のメジャーにおいては重要な要素だ。メジャーへステージを変え、今作であらためて彼女が大森靖子そのものを演じていると思った。

1st『魔法が使えないなら死にたい』のジャケットで皮肉をこめて椎名林檎の2nd「勝訴ストリップ」をオマージュしたように、大森靖子は音楽性の対象として、常に椎名林檎が対象に挙げられる。その椎名林檎もまた、椎名林檎を演じている。 

魔法が使えないなら死にたい

魔法が使えないなら死にたい

 

クラシックやジャズなど、歌詞のないものを好む彼女のメジャー1st『無罪モラトリアム』はそれでも「こんな曲が作れますよ」とメジャーにおいて自分は何ができるのか呈示したものであった。自分の好物を出すのではなく、自分の嗜好を散りばめつつ売れるための曲に寄せていく。派手なパフォーマンスや見せ方もすべて計算された演出。

小さな部屋の中で完結していたこれまでのアルバムから、大森靖子は外に出てメジャーのシーンを歩き始めた。これからどんな事を感じ、どんな人に出会い、曲にしていくのかを楽しみにしている。

 

 

かめ(@kame16g

日々のこと

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