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『ソルファ』と『ソルファ(2016)』

コラム

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今から13年も前のことだ。地元大阪の高校を卒業し、地方の大学へ入った私は人生初の一人暮らしというものを体験していた。最初の数週間は大阪に帰りたいと思っていたが、すぐに友達ができ、寂しくはなくなった。それからは友達と深夜まで遊んでも、時には自宅で友達と朝まで飲み会をしても、誰にも叱られることのない環境にすっかり甘えてしまい、自由を謳歌していた。ずっとこんな日が続いたら、そんなことを思っていたが大学で試験が始まる7月頃になるとそんな状況は一変した。そもそも勉強が苦手で、大学受験では得意科目2教科とマークシート方式で、ほぼ偶然に合格した事もあり、徐々に周りとの学力が離れていき勉強についていけなくなった。そして、気づいたころには大学も休みがちになり、何をするにも億劫で、何度も家に誘った友達に会う事すらも嫌気がさしている自分がいた。

ある日の事、気分転換に近くのレンタルCD屋へ行った。その時、とあるCDに目が留まった。蜘蛛の巣に絡まった男性と赤い糸を頬杖しながら引く物憂げな女性。「カッコいい」と感じた私はこのアルバムをレンタルした。そのバンドと作品の名前は今でもハッキリと覚えている。そう、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの『君繋ファイブエム』である。それまで吹奏楽部でトランペットをやっていたこともあり、クラシックの曲ばかり聴いていた私はこのアルバムで「ロックってカッコいい!」という認識を持ち、それからというものの、彼らが毎週やっているラジオを聴き、友達に「ねえ、ねえ。アジカンというバンドがいてさ」とアジカンの良さを語るファンになっていた。その翌年には、新しいアルバムが発売されると知って、今までやったことがなかったバイトをやり始め、CDを買った。それが『ソルファ』であった。

家に帰り、パソコンにCDをセットして再生するとスピーカーから「振動覚」の印象的なギター・フレーズが鳴り響く。そこから衝動をそのまま音にしたようなサウンドとボーカル後藤正文の歌声。そして、そのまま「リライト」へとなだれ込むといった完璧な展開が幾度も繰返し、私の鼓膜を揺さぶる。気が付けば本作を何度もリピートしている私がいた。その頃には体調もだいぶと良くなり、周りの友人と普通に話もできるようになったし、何とか大学の授業にもついていけるようになった。今から振り返ると、あの頃の私を支えていたのは間違えなくアジカンであった。

時は流れて、2016年。

この10年以上の間で大学生であった私は30歳を過ぎていた。大学は色々ありながらも何とか卒業して、今は介護の仕事をやっている。去年、人生2度目の一人暮らしを始めたのだが、あの時みたいに自由を謳歌することはなく、朝から晩、時には夜中まで入居されている方の介護を行い、加えてあまり裕福とも言えない給料に「どうやって生活しようかな」と悩む毎日である。結婚もせず、彼女すらいない。楽しみといえば仕事終わりにYouTubeでも見ながら酒を飲むことくらいだ。

あの頃と色々変わってしまったのだが、変わっていないこともある。それはアジカンが好きであるということだ。地方の大学から、地元大阪へ戻った私はライヴハウスでライヴを観ることの楽しさを覚え、アジカンのライヴを幾度となく観に行った。時には一人で夜行バスに乗ってNANO-MUGEN FESに行くこともあったし、翌日の台風の事を気にしながらも横浜スタジアムでデビュー10周年記念ライヴを観に行った。ライヴを見ては感動し、明日も働こうと勇気づけられていたのだが、結成20周年を迎えた2016年の元日。私は部屋の中で大いに狼狽していた。アジカンが『ソルファ』の全収録曲を再レコーディングしたアルバムをリリースをするというニュースを知ってだ。

13年前とは違い、アジカンのことを話せる仲間もできた私は、友達に『ソルファ』の再録のことをどう思うか尋ねた。友人は「過去にやったアルバムを再録するのって意味あるのかな」と否定的な意見であった。私も、学生時代に毎日聴いていた作品を丸ごと刷新されるとなると、今まで「これがいい」と思って聴いていた私自身が否定されてしまうのでは、と考えていた。期待と不安が入り交じるなか『ソルファ(2016)』の発売日当日。CDショップであの時から12年ぶりに同じバンドの同じ名前のアルバムを買った。

その日のうちに、パソコンにCDをセットして再生するとスピーカーから、あの日と同じように「振動覚」が流れた。その瞬間に私の不安は安心へと変わり、徐々に興奮へと変わっていった。「今だからこその『ソルファ』だったんだ。」聴き終えた頃にはそんな思いを抱き、本作を何度もリピートしている私がいた。そう、『ソルファ(2016)』は新しいアジカンを体現するには避けては通れない道であり、彼らの過去と今を捉えた作品だったのだ。

避けては通れない道、これを説明するには彼らがこの作品の前年に出したアルバム『Wonder Future』について説明をしないといけない。ラウドロックをテーマに掲げ制作され、Foo Fightersのスタジオ606で録音し、ナッシュビルのスタジオでミックスした本作はアジカンの中でも荒々しくロックなアルバムである。そして、この『Wonder Future』こそ「生まれ変わったアジカンの出発点」とも言える作品なのだ。

アジカンといえば私が出会った『君繋ファイブエム』やその前の作品に当たる『崩壊アンプリファー』には「衝動と疾走」というテーマが内包されていた。激しいビートにうねるギター、ボーカル後藤が時にシャウト交じりで歌う、それが私が初めて体験したアジカンであったのだが、時が経つにつれてポップでエモーショナルな作風が強くなり、以前はあった「衝動と疾走」は影を潜めつつあった。しかし、『Wonder Future』には“衝動と疾走”が確かに存在している。しかも、あの頃より力強く、より鋭敏に研ぎ澄まされた形でだ。これは後藤が2014年よりGotch名義で本格的にソロ活動するようになり、アジカンというバンドを続けていく意味を「4人で音楽をやること」だと考え、再度、原点回帰的なロック・サウンドに行きついたとインタビュー等で語っており、CDジャケットをそれまで中村佑介に頼まず真っ白にした事からもこの作品が新たなる出発点にある作品だという事が窺える。

そう考えた時に、新しいアジカンとして原点を見つめ『君繋ファイブエム』の次の作品である『ソルファ』を再録するというのは新しいアルバムを作る以上に正しい択肢であったと思えてくるし、避けては通れない道であったようにも感じる。そして、完成した『ソルファ(2016)』は「振動覚」は勢いとインパルスはそのままで、よりシャープに研ぎ澄まされたサウンドが鼓膜を揺さぶり、続く「リライト」では間奏部分ではよりレゲエ風のリズムが際立ち、さらにリバーブを入れることでダブ感を増した作りとなっている。ラストの「海岸通り」はストリング・セッションも入り大変ゴージャスな作りにはなっているのだが、どの曲も大幅に内容が変化していることはない。しかし、あの頃の『ソルファ』と確実に違う点がある。それは彼らの音の厚みである。

山田のベース、喜多のギター、そして伊地知のドラムのビート。このどれもが、あの当時に比べて音に厚みがあるのだ。それは後藤のボーカルにつても同じことである。2004年に発売された『ソルファ』の後藤のボーカルは確かに衝動的に歌ってはいるものの、やや勢いに任せているところがある。それが好きというファンもいるわけだが、本人もその当時について「歌唱力だけが置いてけぼりをくったまま完成してしまった」と自覚しており、それがこの再録した一つのきっかけだと語っている。そのため『ソルファ(2016)』では勢いに任せることなく非常に丁寧に歌いながらも、オクターブ下で歌声を合わせる事でボーカルに厚みを持たせているのだ。

つまり、本作は『ソルファ』以降活動してきた12年間に培われた技術、経験、さらには『Wonder Future』で原点に回帰した今だからこそできる作品であり、言い換えれば彼らの12年間の厚みが音の厚さになって投影した作品といっても過言ではないのだ。結成20年目に新たなる旅路のステップとして『ソルファ(2016)』という、これ以上ない結論がでたASIAN KUNG-FU GENERATION。過去の記憶と今が刻み込まれた本作を聴いてもなお、「過去にやったアルバムを再録するのって意味あるのかな」と否定的な意見を言うファンがいるなら、私はこんな言葉を送る。

 

あなたにアジカンを愛しているとは言わせない。 

 

 

ゴリさん (@toyoki123

ki-ft ダラダラ人間の生活