ある音楽好きがアイドルに落ちてわかったこと

昔から、群れる女子グループが苦手だった。ここ数年続いてきたアイドル戦国時代においても、女性アイドル恐怖症は至極当然のことだった。しかしアイドル大国日本には、ジャニーズという男性アイドル事務所がある。彼らをテレビで楽しんで見ていられるだけで良かったのに。

わたしは育った環境によって、「音楽=芸術」「音楽=感情の想起スイッチ」という概念が長らく刷り込まれていた。しかしあるきっかけを経て、NEWSを通じ、アイドルソングという大衆向け優等生の音楽にもきちんと意味が存在することが心から理解できた。それはそこらへんの中学生やここにいるOLに、最大限の元気を与える応援歌になっているのだという事実が初めてわかった。芸術性の高い音楽だけに意味があるわけじゃないことを、身を持ってやっと納得できた。どこにでもいる少年や少女にとって、芸術性が高い曲で元気が出ないでいるよりは優等生の曲で元気が出るほうが、その一点に於いては素晴らしいじゃないか、と堂々と胸を張っていえるほどに価値観が変わった。

似たような「元気だしてがんばろう」という歌でも、好きなアイドルが歌ってくれたらそれだけで勇気100%の意味が加わる。アイドルって本当に偉大だ、ということが、ついにわかってしまった。その個人的なログ。

 

どういう「音楽好き」か

いわゆるクラシック一家の一員として育った。父はレコードマニア、母はピアノ教室の先生。幼少期からオペラやコンサートなどによく連れて行かれ、ピアノやバイオリンなどを仕込まれかけた。いまでは練習嫌いが爆発して聴く観る専門。それでも、こういう環境で育つと「音楽=芸術」という概念が刷り込まれる。さらに「芸術的でない=音楽ではない、意味のないノイズ」という対の概念も刷り込まれる。「大衆にとっての100点よりも中身が豊潤なもの」を優先するように叩き込まれてきた。音楽学の道には進まなかったけれど、音楽とはそういうものなのだと理解した上で趣味として楽しんできた。

芸術的な音楽といってもクラシックだけとは限らない。音を聴くだけで、ある感情、ある季節・ある景色・その空気やにおい、温度が手にとるように目の前に広がる。余分なもののない洗練された曲、演奏、歌詞、歌唱。強烈な感情や、非日常な世界を「音」という空気の震えだけで表現してくれる、圧倒させてくれる、それが芸術としての音楽にふれる際に味わえる醍醐味だと思う。わたしの場合はその筆頭がラルクだった。彼らの曲は悲しさを否定せず、いつでもこちら側の感情に寄り添ってくれる。たまに商業を度外視している(と思わせてくれる)ところも重要なポイント。

ただ、それだけではレールからはみ出して生きてきた劣等生としては物足りない時もある。叫びたい怒りたい悔しい情けない消えたい世界が滅べばいい、そういう直接的な欲求に直接ノックしてくれる大切な存在がロック。ライブに行けば目の前でボーカルが感情を爆発させながらシャウトしてるんだぜマジ最高。作詞家作曲家本人が演奏したり歌ってるのも最高。自作自演屋は超かっこいい。 

逆に、アイドルっていう存在は一体なんなんだろうと不思議だった。顔がよくてダンス=映像じゃないと意味がないし、歌だけで聴衆を魅了するほど歌唱力が高い人は圧倒的に少ないし、職業作家による「元気だしてがんばろう」「好きって言おう」という優等生の見本のような曲ばかり。いわゆる「楽曲派」の態度で好きな曲にもたびたび出会ってきたが、普段聴く音楽がアイドルソングの人たちって映像がない状態でなにがどう楽しいんだろう?本当に励まされてるの?ならばなんで?と素朴な疑問だった。

  

アイドルを知る転機

ところが、そんなわたしにも予期せぬところで転機が訪れる。10代ではなく、20代も半分を迎えようかというところだった。

2011年10月のある朝ワイドショーをつけていたら『山P&錦戸、NEWS脱退』の報道。「え?待ってよNEWSといえば山Pと錦戸でしょう?ほかの人なんて何人いるかも名前すら全然わかんないよ、テゴマスってNEWSだっけ?えええ大丈夫?っていうかファンも大丈夫?いやいやどうすんの…」6人で長らく頑張っていた以前のNEWSだったけれど、山下智久のソロ活動活発化、錦戸亮関ジャニ∞との両立が困難になり脱退する、と発表があった。

それまでのわたしのNEWSのイメージといえば「TOKYOのイケメン揃えました」というような都会系おぼっちゃんイケメン軍団。ジャニーズの中でも王道アイドルの優等生。曲も「希望〜Yell〜」「weeeek!」など元気の出る健康優良楽曲揃いである。放っておいても人気が約束されているような存在だと傍観していた。だから、卒業という制度のない男性アイドルグループから、朧げながらツートップだと認識していた2人が抜けるなんて、どう控えめに表現したって衝撃だった。

かくして小山慶一郎加藤シゲアキ・増田貴久・手越祐也という4人の新生NEWSが生まれた。そんな4人の今後に、どうなるんだろう?と純粋な興味をもってしまったわたしは、9ヶ月後に発表されたニューシングル「チャンカパーナ」に度肝を抜かれてしまう。「えっえっ、こ、これで再出発するの!?」

NEWS「チャンカパーナ

仮にもジャニーズのアイドルグループから、メンバーが9人→8人→6人→4人にどんどん減っていくという劇的な物語を経てきたことを改めて念頭に置きつつ、自分と同い年の87年生まれが2人メンバーだということを初めて知り(加藤手越。辻加護以来だ!)過酷な状況に巻き込まれながらそれでもアイドルを職業として仕事し続け生きている同い年に果てしない好奇心を奪われ、極めつけにはいちばん最後に存在を知った加藤シゲアキさんの小説「閃光スクランブル」で完全にファンを自覚するに至った。そこから3回コンサートに行って、アイドルという存在への見方が本当に180度変わった。「存在していること」が「存在している意味」なんだと知った。

 

アイドルに"落ちた"とき(時間のない人は飛ばしてね)

落ちた時のことは、もう、自然にとしか言いようがない。復活するにあたって出演した「少年倶楽部プレミアム」を、その日の新聞のテレビ欄に見つけてしまった。興味本位だけで観た。そして「チャンカパーナ」にハマった。夏から秋にかけてほぼ毎日、脳内はチャンカパーナしていた。その頃はまだ、きっと「曲」にハマっているだけと自己暗示をかけていた。お涙頂戴ソングにせず、こんなにもジャニーズ歌謡ど真ん中な歌で復活劇を飾るなんてかっこいいじゃん、それも曲に好感を持つ大きな理由だった。年末の音楽番組もしっかりリアルタイム鑑賞し「やっぱりいい曲だな(キラキラお兄さんたち可愛い…いやまだ認めない)」と秘めたる葛藤を抱きつつ、2012年末にリリースされた「WORLD QUEST」はあまり披露する場に遭遇しなかったのでどうにかスルー、ふう、この時点ではまだファンらしきアイテムは何も手にしていない。しかしこの年末年始に1つ購入してしまったものがあった。アイドルと兼業して小説家となった加藤シゲアキさんのデビュー作「ピンクとグレー」だった。

ピンクとグレー

ピンクとグレー

 

なんとなく4人のNEWSを応援したくて何か買いたいけどまだCDは恥ずかしい。そんなわたしに小説はうってつけのアイテムだったのだ。まさかこれが引き金になろうとは。鋭い観察眼や本格的な構成力を兼ね備えた、想像を遥かに超える純文学然とした静謐な筆致と、青く甘酸っぱい、だけどチクチクするストーリー、そしてこれを書いた人がまさかアイドルだなんて、という幾重にも張られた罠。さらにその頃刊行されたばかりの「閃光スクランブル」におけるクライマックスシーンでは、初見にも関わらず、読みながら脳内で映像が文章を先回りして流れるという稀有な経験をし、もう、これは、困ったものを知ってしまったぞ、と思うも既に遅し、気付いたら彼を追わずにはいられなくなっていた。

閃光スクランブル

閃光スクランブル

 

そのあとも半年ぐらい微熱が冷めず、半ば無意識にせっせと過去アルバムやDVD、果ては人生初のアイドル誌にも手を出し、過去の連載やロングインタビュー目当てにバックナンバーをAmazonで夜な夜なポチる。わたしは特定の人にハマると気の済むまで情報収集するくせがあり、そこでいまいち違って踏みとどまったアイドルが過去にも数人いた。だけど今回の対象に至っては、積み重ねてきた歴史が波乱万丈、すべてに読み応えがあり、4人全員に好感を抱いてしまった。とくに加藤さんは、岡村靖幸、レキシ、星野源らをフェイバリットだと自身のラジオで流しちゃう系こじらせサブカルアイドルなので、追っていて本当におもしろい。この記事を書くにあたって、個人ブログのほうに加藤さんのサブカル的魅力をまとめたので笑、興味がわいた方はぜひこちらへ。

 

NEWS に見たアイドルソングの意味

さて、本題へ。前述したようにNEWSというグループは、ジャニーズの中でも比較的王道アイドル路線の曲が多い。それと同時に、自分たちの物語を重ねた歌詞の載った、もはやエモい域に到達している曲もいくつかある。軽く挙げるだけでも「エンドレス・サマー」「フルスイング」WORLD QUEST」「HIGHER GROUND」など。なかでも最もぐっとくるのが2012年、4人になってから初めてのコンサートで歌った「フルスイング」だ。

NEWS「フルスイング」

《立ち止まっていたとしたって ここで終わりじゃなくて/そう何度だって 賽を振れ 願いを込めた フルスイングで》

《悔しくて悔しくて 溢れ出す想いが この夢もその夢も強くしていく/もう一度空を見上げ 情熱を握り直す》

新生NEWS初のシングル「チャンカパーナ」のカップリング曲としてリリースされたこの曲。言ってしまえば普通のアイドルポップソング。バックグラウンドさえ知らなければ良質な優等生の曲。それなのに、初めて聴いたときに何故か感情をガクガクと揺さぶられた。当時はまだNEWSに対してなんの思い入れもなかったのに、ひどく胸を打たれた。アイドルソングに感動する、アイドルソングを聴く行為、その理由をずっと知りたくて考えていた。

そしてだんだん気付いたのが、アイドルの歌って、声だけでも十分なのだなということ。

つまり、曲や歌詞はとくに芸術的でなくても、アイドル自身が自分の声で歌うことで一気に意味が乗って、リスナーひとりひとりにオリジナルの意味がある歌になる。映像がなくても声だけで、歌っている彼や彼女の存在を感じることができる。いわゆる歌が上手くなくても、独特な声でも、その彼や彼女の存在をまぶたの裏に感じられることが、ファンにとってのアイドルソングを聴く意味なのではないかと気付いた。彼や彼女が存在するから、その歌を聴く。曲のよさを重視する芸術音楽と、彼や彼女の存在がすべてとなるアイドルソングとでは、前提がまるで逆だったのだ。

わたしが「チャンカパーナ「フルスイング」に泣かされたのは、NEWSの歴史を知ってしまった上で当事者の彼らの声を聴いているから、曲だけの力ではなく、声の持ち主、歌い手の人間味がそこに加わったからなのではないか。バンドとアイドルを比べるとわかりやすいが、基本的にバンドはすべてが自作自演。対してアイドルは、曲の中で自分を込められる要素といえば基本的には歌だけ。ゆえに歌に全存在が乗り移る。だからアイドルが好きな人にとっては、曲の中では声を聞くだけで十分、むしろ歌声がすべてとなって、聴覚から五感を刺激し得られる最大級の生きる力の源となる。「そのアイドルが自分に向けて」歌ってくれている気分になる。何故ならその彼や彼女のことが好きだから、声から姿を思い浮かべたりする。どうも浮かれているけど、それこそがアイドルソングに応援歌が多い理由なのではと気付かされた。

たとえば、実例がNEWSなのでNEWSで書くけれど、夏の通勤電車で「渚のお姉サマー」を聴くとトロピカルジュース飲んでるみたいでにこにこできるし、夜疲れて歩いてるときに「恋のABO」を聴くと足取り軽くなるし、家までの夜道で「星をめざして」を聴くとストレスは浄化されるし、朝起きるときに「ポコポンペコーリャ」を聴くと午前中ご機嫌で過ごせる魔法にかかる。NEWSの場合、テゴマスを筆頭に平均的に歌唱力が高いので、聴いていて余計に楽しい。

NEWSに出会って様々なことに気付けたおかげで、職業作家のこともすっかりちゃっかり尊敬している。それまでは職業作家に対して、依頼されたもののクオリティを保つことが仕事なのかと思っていた。いかに大衆に受け入れられるかが勝負なのだろうと感じていた。しかしそれはあくまで前提でしかなくて、その上で提供する対象に対して愛が深く・視野が広く・モチベーションが高くないと作品は選ばれない。自分の曲や歌詞ひとつで相手のイメージを変えてしまう力を持つとんでもない仕事だ。やっぱり音楽を作り出すって、えぐい。想像もつかない仕事である。だけど、曲がリスナーに愛されたときには生みの苦しみ以上に素晴らしい景色が見えるのだろう。ヒロイズムさん大好き!

 

あとがき 

まさか自分が、芸術とは真反対の「大衆」「優等生」に迎合する日が訪れるなんて。大衆向けの音楽に興味を持てなかった自分も好きだったけど(わ!中2っぽい!)、その音楽に興味を持てる自分も好きになれた。「楽曲派」の態度ではなくファンとして聴くほうが、何倍も深くアイドルソングをを味わえる。わたしの音楽の航海図はまだまだ更新され続ける。

NEWSの物語は作られた物語じゃなくて、実際に止まってもがいて選んで歩いてきた過程をファンも共有してるから、本当にエモい。目が離せないし、いまいちばんおもしろいアイドルグループだと思う。何より、いま好きになっておくべきアイドルグループだと思う。

まあ、何が言いたいって、NEWSのせいで20代半ばから人生の一部が180度変わっちゃったよ!!!!困ってるよ!嬉しいよ!!年明けシングル(2015/1/7リリース「KAGUYA」)リリースされるし、早くも次のツアーが楽しみだナーーーーーーーー!!!! 

 

 

やや(@mewmewl7