欅坂46論 第3章 欅坂46とサイボーグ009

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 これまでこの欅坂46論において、第1章で"再開発"を歌っていることに着目し、それは同時に"世代交代"についても歌われているのではないかと指摘した。

 また第2章ではこの"世代交代"を"今までのアイドルとそれを乗り越えようとする欅坂46"と見立て、その中でアイドルでありながら今やアーティストとも呼ばれるようになったPerfume欅坂46ロールモデルとして考えられるのでは、と指摘した。

 そして今回の第3章ではさらにもう一つのロールモデルを指摘したい。それはアイドルやアーティストではなく、マンガやアニメ作品の主人公たちだ。正義のヒーローがチームが一丸となり悪の軍団に立ち向かうという話である。その作品の名前は『サイボーグ009』である。

 

サイボーグ009とは

 『サイボーグ009』は1964年に「週刊少年キング」で連載が始まった石ノ森章太郎の少年漫画である。

 主人公である島村ジョーは、少年鑑別所からの逃走中に謎の男たちに捕まえられサイボーグへと改造されてしまう。彼を捕まえたのは世界の陰で暗躍する死の商人「黒い幽霊団(ブラック・ゴースト)」。黒い幽霊団は原水爆やミサイルをはじめとした核兵器開発でうかつに戦争が起せなくなった時代に兵器を製造し販売が出来なくなった者たちに対して宇宙でも戦争が出来る戦闘用兵士、すなわちサイボーグという形で世界中に戦争で戦争を起こそうとしている集団であり、この野望を知った島村ジョーを含めた9人のサイボーグ戦士と彼らの生みの親でもあるアイザック・ギルモア博士と一緒に脱走し、黒い幽霊団の野望に立ち向かう。

 このあらすじからもわかるように、『サイボーグ009』は当時の米ソ冷戦下における核開発競争、宇宙開発競争を背景としており以降のストーリーもベトナム戦争ベルリンの壁といった世界情勢とリンクさせた形でストーリーは進行する。そしてこの作品を読んで感銘を受けた少年がいた。その少年の名前こそ秋元康である。

 

秋元康サイボーグ009

その当時、『サイボーグ009』を読んだ時の衝撃をこう語る。 

「当時のマンガのほとんどが作り事で成り立っていたのに、『サイボーグ009』だけは、科学的にも政治的にも九十九までが事実であった。(中略)もちろん009が主人公で少年時代の僕もまた009に憧れた。しかし特に僕の印象に残っているのは赤ん坊の001と中国人の006 それまでの弱さを見せないヒーロー像に赤ん坊は不向きだし多くの人の関心がアメリカに向いている時代に中国人に目をつけた アジアの時代を先読みしたようなキャラクター設定には今でも大いに感心させられる。」

(秋田文庫『サイボーグ009』第9巻解説)

 また、それと同時にサイボーグ009秋元康自身に与えた影響に関してもこのように語っている。

僕も以前、映像、音楽、放送、活字など、それぞれの分野に長けた同士が集まって会社を作ったことがある。人は万能ではないのだから、ある能力を持った人間が集まり、秀でたところを活かして助け合うのは自然なこと。そんなスタイルも『サイボーグ009』から知らず知らずに学んでいたような気がする。(同上) 

 ちなみにこの"映像、音楽、放送、活字など、それぞれの分野に長けた同士が集まって会社"というのは秋元康が以前立ち上げた会社『SOLD-OUT』の事であり、立ち上げのメンバーには映画監督の堤幸彦がいるわけであるが、それぞれの分野に長けたもの同士というのは欅坂46でも見られる。

 

団結と孤独、そして親子

 欅坂46のライヴ演出を手掛ける野村裕紀(株式会社nrs)は欅坂メンバーをこのように評する。

このグループはメンバーの個性のバランスが素晴らしい。だから面白い。それぞれに武器があって、それが被ることがないんです。全体をまとめようとする冬優花がいて、アイデアマンの小林がいる。尾関梨香のキャラクター性も他に類を見ないし、ねるの頭の回転の速さもにも感心します。小池美波も鈴本も、舞台に立った瞬間にアーティストとしての風格を見せつけてくる、もちろん平手も常に目を惹きつけられる。メンバー全員にこういった感覚を持っています。

(BRODY4月号『欅坂46初ワンマンライブ衝撃ドキュメント』)

 各々がそれぞれに長けた能力を持ちながら、いざライブが始まると21人が一人の人間のごとく、息の合ったフォーメージョンダンスを観客に見せる姿はまるで各々の特殊能力を使い敵を打ち破る9人のサイボーグ戦士たちを思い起こさせる。

 また、欅坂46は制服と言うよりかはまるで軍服をイメージしたような衣装を身に纏っている。そして「サイレントマジョリティー」では

人が溢れた交差点をどこへ行く
似たような服を着て似たような表情で

と、大人に制圧されて意志を持たず日々を送る人間に対して君は君らしく生きて行く自由があるんだと歌い、3rdシングル『二人セゾン』のカップリングである「大人は信じてくれない」では

大人は信じてくれない
こんなに孤独でいるのに
僕が絶望の淵にいると思っていないんだ

と歌っている。常に大人に対して孤独に戦っていることが伺える。

 『サイボーグ009』もまた孤独な闘いをする。改造された人間たちは社会から突如消えても問題がない存在であった。例えば009の島村ジョーはハーフであり孤児でもあることから差別や偏見に晒されてきた。その結果、犯罪を犯して少年鑑別所に送致され、脱走したところを黒い幽霊団に拉致され、本人が気を失っている間に改造された。サイボーグ009たちは人間界から居場所がなくなった人間ばかりであるため、彼らは誰の助けを借りることなく9人で自分たちを改造した黒い幽霊団と戦いを続ける。

 そしてこの"自分たちを改造した黒い幽霊団に立ち向かうサイボーグ戦士"という構造は言い換えれば"親に対して子供たちが立ち向かう"ことであり、これは欅坂46の大人と戦う子供の構造にも見えてくる。

 欅坂46の歌詞について以前、秋元康がこうように語っている。

10代半ばの世代というのは、自分たちの価値観について迷うわけです。(中略)もしかしたらその世代の「迷いや戸惑い、思い込み」といったものが僕の頭の中にあって、それが詞として出てくるのかもしれないですね。大人からするとなんでもないことでも、感受性豊かな世代には「アスファルトの上で雨が口答えしてる」ように聞こえちゃうわけだから。そういう意味では、欅坂46では自問自答や、彼女たちの迷いそのものを描きたかったんだなと思います。(日経エンタテインメント! 2016年10月号)

 この《アスファルトの上で雨が口答えしてる》というのは2ndシングル「世界には愛しかない」の歌詞の一節であるが、この歌詞の前には《最後に大人に逆らったのはいつだろう/諦めること強要されたあの日だったか》とある。逆らえることができる大人とは、あきらめることを強要する大人とは誰であるのかと考えた時に待った先に思いつくのは"親"である。親であるからこそ子供の決断に口をす事も、そして子供はその意見に逆らうこともできる。そんな"親に対して子供たちが立ち向かう"という構造は"黒い幽霊団と9人のサイボーグ戦士たち"の構造に共通しているのではないだろうか。そして一番重要となるのが衣装の変遷である。

 

衣装変遷の類似点

 サイボーグ009の衣装変遷を見ていこう。原作初期は緑の服であり、その後1966年に放送されたテレビアニメ第1作では白い服であった。そして1979年版の再テレビ化では赤色の服を着ている。そして石ノ森章太郎亡き後、『2012 009 conclusion GOD'S WAR』では青色の服であった。この変遷をアニメにしたのがこの図である。

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(原作/石ノ森章太郎・小野寺丈 漫画/早瀬 マサト・石森プロ 『サイボーグ009完結編conclusion GOD’S WAR 1』)

 そして欅坂46衣装であるのだが、乃木坂46と同様に女子高生風の衣装だと思いがちなのだが実は乃木坂と違いシングルによって服のカラーコーディネートをガラッと変えている。1stシングル「サイレントマジョリティー」では緑、2ndシングル「世界には愛しかない」では白、3rdシングル「二人セゾン」では赤、そして4thシングル「不協和音」は青と、欅坂はこのような衣装のカラーコーディネーションを行っている。つまり衣装のカラーの変遷は『サイボーグ009』のそれと同じであるのだ。

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(シングル曲における衣装の変遷)

 もちろん今語った内容は私の妄想も入った文章であり、秋元康に『サイボーグ009』がモチーフか?と聞かれたら「違う」と答えるかもしれない。しかし、サイボーグ009の解説を書くくらい、幼少期に影響を受けていたマンガである。オーディションの最終選考に残ったメンバーが、みんな大人しくて、大人や社会と接することを拒否しているような引きこもり感があったと秋元は読売新聞の『秋元康の1分後の昔話』の中で語っている。そんな彼女たちの姿を見て"大人を敵対する子供たち=サイボーグ009"発想が無意識ながらも結びついたのではないだろうか。それは、彼が立ち上げた映像、音楽、放送、活字など、それぞれの分野に長けた同士が集まって会社『SOLD-OUT』のように。

 そしてこの『サイボーグ009』は欅坂46の今後の目的地の事を示唆する1つのファクターでもあると私は考える。

 今まで出たサイボーグ009Perfume、そして"再開発"は今後日本で行われるあるイベントに共通する。そのイベントが開催されるのは2020年夏の東京。前回東京で開催されたのは今から56年前、世界各地の人々が開催国へとやって来る4年に1度のイベントである。そう東京オリンピックだ。(第4章へ続く)

 

参考文献
  • 山田夏樹『石ノ森章太郎論』青弓社
  • 秋元康 (監修)『SOLD OUT!!』扶桑社
  • MdN編『月刊MdN 2017年 1月号(特集:アイドル―物語をデザインする時代へ)』MdNコーポレーション
  • 読売新聞よみほっと日曜版「秋元康の1分後の昔話」4月30日付朝刊

 

 

マーガレット安井 (@toyoki123

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