andymori『ファンファーレと熱狂』
最後の武道館公演をもってandymoriが解散した。
andymoriは00年代と10年代をあっという間に駆け抜けた、シーンを代表する存在であった。『ファンファンーレと熱狂』はそんな彼らが残した自身の最高傑作であり、10年代の幕開けを飾る歴史的名盤だ。90年代的な価値観を取り戻し、10年代の作品として昇華する。偉業を成し遂げた大傑作である。
90年代。経済成長も終わり、バブルが崩壊し不安と混沌とで覆いつくされた時代。そんな時代に鳴らされた音楽はその不安や虚無感、閉塞感と向き合ってきた。すべてが終わっていくと知りながらそれでもその一瞬を讃えた小沢健二。《ただ僕らは絶望の"望"を信じる》と必死に張り上げた中村一義。日常に潜む一瞬の生のきらめきを切り取り続けたサニーデイ・サービスもそうだ。時間や運命に抵抗せず自分たちの音世界の中で浮遊し続けたフィッシュマンズも、やはり無関心を装うという関心の持ち方をしていた。七尾旅人が「虚無〜ん」という言葉を生み出したのも忘れてはいけない。
中村一義「魂の本」
今挙げた事柄はFlipper's Guitarから始まったことであり、ある意味カウンターでもあったと思う。こんな風に90年代の音楽家たちは「時代に巣食う虚無とどう付き合うか」という共通の大きなテーマを持っていた。
そして00年代に入り、虚無や閉塞という主題はなくなっていたかのように見えた。では時代から虚無や閉塞は消えたのか。そうではない。時代もそこに生きる人々を取り巻く環境も何一つ変わっていない。
一つ変わったとすれば、僕たちが慣れすぎたのだ。虚無や閉塞が当たり前になりすぎ、まるで何もないかのように見える時代、それが00年代だ。そんな時代を象徴しているのがNUMBER GIRLの『SAPPUKEI』、ゆらゆら帝国の『空洞です』というアルバムだろう。
ゆらゆら帝国「空洞です」
確実にそこにあるのに何も感じられない。悲しみも感じられなければ生きてる実感さえもない。絶望がない時代では僕らはその望を信じることすらできないのだ。
そんな00年代という沈黙の時代を破ったのがandymoriであり、『ファンファーレと熱狂』というアルバムである。
andymoriは悲しみを背負っていた。終末思想を抱えながら、それでも、いやだからこそ、誰よりも情熱的で誰よりも今日を生きることに夢中だった。どうしようもないニヒリストであり現実を見つめすぎるリアリストであると同時に、夢見がちな夢想家であり理想家だった。初期衝動そのままに三人の若者のリアルとセンチメンタルをおさめた1stアルバム『andymori』でもそうだった。「Life is party」や「すごい速さ」といった曲にその兆候を感じられた。
andymori「Life Is Party」
『ファンファーレと熱狂』はさらに表現者としての飛躍を遂げたアルバムである。andymoriが『ファンファーレと熱狂』で、仮想敵にしている感覚は「どこにもいけない」というものである。結局のところ僕たちは時間と場所という二つの限られた座標軸の上から抜け出すことはできず、行ったり来たりしながら穏やかに死へと向かっていくのだ。
しかし音楽の中では自由だ。優れたポップミュージックはいつだって、ただ自由であろうとする。andymoriもそうだった。このアルバムの歌詞には、世界中の様々な地名が出てくる。高円寺、ポリネシア、バグダッド、タイ、所沢...などなど。このアルバムで、andymoriは世界中を旅して周り、世界中の不条理を戯画的に描き、そしてそれを踏み越え自由であろうとした。
そんなアルバムを最も象徴しているのが、《どこにもいけないけれど》《すぐにいなくなるくせに》と時々本音をこぼしながらそれでもその向こうへ行こうとする「CITY LIGHTS」だろう。
andymori「CITY LIGHT」
他にも、改札を行ったり来たりする女性を見つめ、日常の虚しさを感じながらそれを否定も肯定もせず続いていく日々を描いた「16」や、"どこにもいけない"という感覚から最も反動的に、半ばやけくそ気味に突っ走る「SAWASDEECLAP YOUR HANDS」という名曲群が並ぶ。 また「1984」は一際名曲だ。競争社会や歴史の連鎖を描きながら誰もがもつ原風景を祝福したこの曲の素晴らしさは、このアルバムの中でもそびえ立つように、圧倒的に輝いてる。
andymori「1984」
andymoriはこのアルバムの中で、"どこにもいけない"という人間の根本にある虚無や、世界中の悲しみと付き合いながらも、自由であろうとした。そして時に《国旗に包まれたラブリーブラザー》や《捨てろティービーピーシー そのアイデンティティ》といったアイロニカルなフレーズで我々に促した。
もちろん、その彼らの社会的な姿勢は、小山田壮平の圧倒的なソングライティングの才能があってこそだ。時代の虚無や人々の悲しみに切り込む姿勢と、単純に音楽としての素晴らしさがこのようなバランスで成り立っていたアルバムは、00年代には見当たらない。
そんな彼らの姿勢がその後の音楽やシーンに受け継がれたかはわからない。しかしこのアルバムはあまりに長すぎた沈黙が破られた記念すべき瞬間である。今後10年代を代表する名盤として聴かれ続けていくだろう。