クラムボン『triology』
クラムボンが5年ぶりにリリースしたアルバム『triology』について3人でいろいろ書いてみました。20周年を迎えたバンドとは思えない瑞々しい作品だと思います。この記事が作品を手に取るきっかけになれば。ぜひ。(ぴっち)
––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––
ダンスミュージック、モッシュ、ダイブ、縦ノリ、横ノリ、四つ打ち。夏フェスブーム以降なのか、それ以前もそうだったのかはわからないけど、いつの頃からか音楽は踊れることに価値が置かれるようになった。多分2005年前後を境にその傾向が強くなったと思うのだが、CDの売上不信、90年代に活躍したバンド/アーティストの停滞、不景気、フェスブームの勃興、様々な理由が絡みあい、フェスで盛り上がる音楽が重宝される時代になった。
クラムボンはそうした流れに抗うバンドと見なされていたと思う。踊れないわけではないのだが、彼らの進む方向が時代と重なることはなかった。それが意図的なものなのか偶然なのかはわからない。多分、そのようなことをあまり考えずにクラムボンの音楽を模索していたのだと思う。
ただ、過去のアルバムを通して聴いたことがある人、もしくはライブを観たことがあるひとなら百も承知だろうけど、実際にはクラムボンの音楽はかなり踊れるんだよね。身体を動かしたくなる。ゆらゆらしている人はよくいるけど、実際には拳を振り上げたいくなるし、周りが許してくれならパンクみたいに押し合いをしたくなる。
とはいえ、そのような切り口だけですべてを語れるバンドではないことも確か。ロック、ジャズ、フォーク、ヒップホップ、ポストロック、テクノなど、ありとあらゆる音楽を血肉にし、独自の音楽として奏でてきた功績こそが、クラムボンが音楽ファンに支持されてきた主な理由だと思う。
でも、今回はかなり踊れるんじゃないかな。ゆらゆらしている程度じゃ済まされない。拳を振り上げたくなる。そして脳天をかち割ってくれるよ。劇薬です。
ぴっち(@pitti2210)
––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––
––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––
クラムボンと正面から向き合う。そんなことは今までなかった。
「サラウンド」や「サマーヌード」といった曲たちのイメージがついて回る。正直、これまでアルバム単位では1枚も聴いてこなかったといっても間違いではない。今年はバンド結成から20年のアニバーサリー。この20年、自分と交わるにはちょっと時間がかかりすぎた。けど、今作の 『triology』。久々に、音楽を聞いて心底ドキドキするこの感じ。とにかく強烈で鮮烈な、とても瑞々しいアルバムなのだ。
このバンドにどんなイメージを抱いていたかといえば、空気感たっぷりの特大ホットケーキのような柔らかくもどーんとした存在感。おいしそうだ...。いや、言いたいのはそんなことではない。ホットケーキかと思って聴いたら、全然違うじゃん、むしろ練りに練られた老舗の羊羹みたいなバ ンドじゃん。ちなみに僕のオススメの羊羹屋は、両国にある越後屋若狭。いや、だから、言いたいことはそんなことではないんだよ。
Real Soundの掲載されているミトのインタビューが印象的。「バンドや楽曲の強度を上げていかないと、現代音楽シーンを生き残っていくのは不可能だ」と話していた。バンドのあり方、曲の作り方、メンバーとの関係性、現在のシーン、打ち出し方、売り方。これまでのやり方に囚われず徹底的に"今" に立ち向かうにはどうするべきかにフォーカスさせて作った作品。なるほど、どうりでいままで抱いていたクラムボンに対するイメージとは大きく違 い、いろんな音、歌詞、雰囲気に至るまで、ガラッと変わっているわけだ。これがひとつ、J-POPや、バンドや、ボカロ、EDMといった現代の日 本音楽における大きな指標のひとつとして、大変な役割を果たすような、そんな気さえもする。
音楽を続けていくって難しいんだな。今作だけじゃなく、過去作品も聴きながら、ゆっくりクラムボンと向き合っていきたいと思う。
かんぞう(@canzou)
––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––
––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––
生きるって苦しい。幸と不幸、快と不快、秩序と混沌。それらは僕らをいとも簡単に振りまわす。
「Triology」の楽曲は、豊かな表情を持っている。「はなさくいろは」や「Rough & Laugh」の様にキラキラした曲もあれば、「scene 3」のようにシリアスで切迫感のある曲もある。「アジテーター」の様に祭囃子を彷彿とさせる楽曲もあれば、「noir」の様に打ち込みのリズムの上で淡々と展開していく楽曲もある。まるで生きている人間の様に、曲ごとに色を変える。きまぐれで読めなくて、アンビバレントだ。
原田郁子を見ていると、洞察力の鋭いこどもを思い出す。彼女はステージ上を自由に駆け回り、笑顔を振りまいては観る側の緊張をほぐす。自由に踊りだしたくなる心地にさせる一方で、彼女の歌う歌は必ずしも幸せに満ちたものではない。
「バタフライ」では、友人との死別に対する思いを歌う。呆然とした中で浮かんでくる自責の念や会いたいと願う気持ちである。また、「yet」では苦しみの渦中を描いている。先の見えないトンネルの中を、未来があると信じて駆けていくひとを描く。そして、MOROHAのアフロを迎え、本作で唯一メンバーが作詞していない「Scene 3」でも、同様の思いを引き継いでいる。昔思い描いた未来とは全く異なる日常を生きている主人公の姿を描いており、スーパースターにはなれない自分を受容しようともがいている。
本アルバムは、「Re-ある鼓動」で締め括られる。この曲の元は、震災後早期に作られたという。この曲には「光が降り注ぐように ささやかな営みが とぎれることなく つづくように」という一節がある。この曲をライブで演奏する時、彼らは観客にクラップと足踏みを求める。この曲のリズムは、人が鳴らして初めて完成する。
生きるって、苦しい。でも、自分がいなければ何も始まらない。楽しいことも息を止めたくなるほどの悲しみも、自分の掌に乗せて転がしながら、時に転がされながら進んでいく。「Triology」は、「生」への肯定を表現したアルバムだ。
rinko(@rinkoenjoji)
––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––
NEXT REVIEW>>>WHITE ASH『THE DARK BLACK GROOVE』/Alabama Shakes『Sound & Color』