THE YELLOW MONKEY『砂の塔』

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少しだけ振り返ると吉井和哉は2013年にベストアルバム『18』をリリースし、「GOOD BY YOSHII KAZUYA」というツアーを敢行。その時点でTHE YELLOW MONKEYの再結成は確定的なものだと思われていた。ところがその後は音沙汰がなく、カバーアルバムを挟みながらも、昨年ソロ名義で7thアルバム『STARLIGHT』がリリースされた。その時には少々面食らったというか、イエモンの再結成がうまくいっていないのではないかという話が噂されていたほどだった。(ちなみに吉井が他のメンバーにバンドの復活をお願いしたのは「GOOD BY YOSHII KAZUYA」ツアー終了後とのこと)。

ところが2016年、各所に掲載された広告からイエモンの復活の噂が再び急浮上。あとの快進撃はご覧の通り。イエモンがこれほどまでに望まれていたバンドだということを実感させられた一年だったと思う。

僕はイエモンを待ち焦がれていたくせにツアーには参加しなかった不真面目なファンなのだが、さすがにシングルは無視できないので購入した(ただしまだライブDVDを見てないのでライブ盤は聞きたくないのでダウンロードでだけど)。

ちなみに「ALRIGHT」はMV公開時からずっと聴いていたわけだが、そこまで良いとは思えなかった。というのもその前年に吉井は「(Everybody is)Like a Starlight」という凄まじいを発表しているからだ。バンドのグルーヴ自体にも歴然と差がある。

ところが今回発表された「砂の塔」は少し肌合いが違う、と思う。なんていうか、ようやくあの頃のイエモンが終わった。そんな感じがしたのだ。

あの頃のイエモンというのは1997年にフジロックに出演し、2001年に「プライマル。」で解散するまでの彼らだ。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンレッド・ホット・チリ・ペッパーズに挟まれて、吉井和哉は挫折に苛まれ自滅と言える道のりを辿った。ロック、歌謡、両方の側面からバンドを刷新しようと試みたがそれは叶わず、バンドは瓦解した。

あれから15年、イエモンは戻ってきた。相変わらず歌謡曲とロックのオルタナティブな存在として。2000年にリリースされた『8』での「聖なる海とサンシャイン」「バラ色の日々」のアルバムバージョンにおけるロックバンドとして瓦解した姿は影を潜め、「もし2016年にイエモンが復活したら?」というお題にこれ以上ないほど答えた形での復活だと思う。これまでと地続きのイエモンが終わり、そしてようやく次のイエモンがはじまるのだと思う。

「砂の塔」の歌詞が指し示すものはこれまでの彼らであり、これからの彼らだ。

探しても 探しても すぐにまた砂嵐
暖かい母の手を いつか握りしめ
オレンジの馬車に積んだ黄色いカーネーション
上に行くほど傾いた塔
安定はしない
太陽に近い
天国に近い

幾度となく「これだ!」と言える物を見つけても時間の経過とともに瓦礫の山と化してしまう彼らの創作活動そのものを示しているようでもあり、人類の愚かさを表しているようでもある。

でも一つ確かなことは、吉井和哉は再びその愚かな舞台に立つためにイエモンを蘇らせたこと、そしてその仲間としてイエモンを選んだということだ。

あれから15年経ち、彼らの後に出てきた後にロキノン系と呼ばれた邦楽ロックバンドのムーブメントさえも一段落した現在、彼らが心から望まれている存在なのか、国宝と呼ばれるバンドになりうるのか、それはこれからの彼ら次第だ。

でも一つだけ。本当におかえりなさい。


ぴっち(@pitti2210

スピッツ『ハヤブサ』15年目のレビュー~パンクなバンドが最もパンクになった瞬間の記録~

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今年でメジャーデビュー25周年、来年には結成30周年を控えているバンド、スピッツ。私も小学生の頃に「ロビンソン」で彼らと出会い、以降、彼らの音楽とともに歳を重ねてきた一人ではあるが、そんな僕がスピッツの中で好きなアルバムを選べと言われれば『ハチミツ』や『空の飛び方』、『三日月ロック』など枚挙にいとまがないのだが、でも「彼らの中で最も重要なアルバムは?」と聞かれれば、間違いなくスピッツの9枚目のアルバムとなった『ハヤブサ』を選ぶ。なぜなら、スピッツがパンクなバンドであること改めて証明した作品であり、今もメジャーにてロックバンドの先端を走り続ける彼らの原動力ともなった作品だからだ。

スピッツは実にパンクなバンドだ。そんな事を言えば、「スピッツといえば「ロビンソン」や「チェリー」など良質なポップソングを生み出すバンドでしょ?」と、思われる方も少なくはないだろう。しかしながら、「スピッツ」というのを辞書で引く「唾を吐く」や「尖っている」という意味があり、草野もそれに感化されてこのバンドを始め、インディーズ時代には、ラモーンズの曲をコピーしたり、パンクバンドのように観客を煽る事もやっていたという。また、草野が初めてTHE BLUE HEARTSのライヴを初めて見たときに「やりたい事を全てやられた」と衝撃を受けて、音楽活動を休止に追い込まれたこともあった。この事からもわかる通り、彼らがやりたかった事は結成時からパンクとは親和性のあるものだった。

さて、THE BLUE HEARTSに衝撃を受けて以降、草野はドノヴァンなどの影響を受け、メジャーデビューをし、『スピッツ』や『名前をつけてやる』等を生み出していく。バンド・バブルがはじけ、ロックというもが、うるさいもの、叫ぶもの、だとイメージがついていた当時、スピッツはメインストリームにあったロックとは逆行した音楽作りでもあった。より具体的にいうと、歌謡曲という物に軸を置いて、当時の洋楽とリンクした音作りをしており、それは今から考えると、日本におけるオルタナティブ・ロックの先駆けと言っていいのかもしれない。このような音楽をやっていた背景にも、彼らの持つパンクの精神から来ているようにも感じられる。そもそも、オルタナとパンクというのは非常に密接した関係があり、これは僕が語るよりもソニック・ユースのサンストン・ムーアの言葉を使った方が説得力があるので引用する。

俺たちがやろうとしてることってのは、人々がオルタナティヴ・ロックに期待しているものを、いかにして裏切ってやるかってことなんだよ。セックス・ピストルズが20年前にやろうとしたのも、まさにそういうこと(オルタナティヴに対するオルタナティヴ)だったんだ。
ある時、ジョニー・ロットンがインタヴューで「俺たちみたいなバンドがもっと出てきてほしい」って言ったら、次の瞬間には、彼らのコピー・バンドみたいな連中が山のように出てきた。すると、その後のインタヴューで、ジョニーはこう言ったんだ。
「違う、違う、そういう意味じゃない、俺たちみたいなサウンドを演るバンドが出てきてほしいんじゃない、俺たちみたいなやり方でやってほしいんだ、メインストリームとは関係なく、自分達のやりたいようにやるってことだ。」だってさ。

俺が言いたいのもそういうことなんだよ。

さて、話題をスピッツに戻そう。笹路正徳がプロデュースした『Crispy!』以降、スピッツの楽曲は飛躍的にサウンドはポップになる。しかしながら、例えば「スパイダー」が全編ストーカーの話であったり、「空も飛べるはず」でこの世の中を“ごみで煌めく世界”と揶揄したり、「ラズベリー」のようにSEXのことを歌ったりと、歌詞を咀嚼すれば大衆性とは全くかけ離れた事を素敵なメロディーラインに入れ込み、ポップ・ソングとして落とし込んでいたわけである。それはこの時期のインタビューで草野が

ミスチルL⇔Rと一緒のことじゃないんだよ、スピッツは」

と、自らは良質なポップソングを作るバンドではない事を語っている事からもわかるように、どんなにポップになろうとも常に尖っている存在、パンクなバンドでありたい気持ちの表れが投影されていたようにも思える。

さて、そんなスピッツがポップスを作るバンドとして定着したその時に出たのがこの『ハヤブサ』であった。たぶんスピッツが好きな人なら『ハヤブサ』を聴いた瞬間、「スピッツってこんなにロックだったかな」と誰しもが驚いたと思う。例えば「いろは」におけるスピッツとは思えない太くラウドな音像や「8823」における周りをなぎ倒すくらいの全速力で駆け抜けるロックサウンド、「メモリーズ・カスタム」では草野のボーカルに冒頭からディストーションをかけ、歪ませつつパンキッシュな作りにしているなど、このアルバム自体が“それまでスピッツがやってきた事へのオルタナとしての作品”という言葉が適切な作品となっている。プロデューサーが同世代であり元Spiral Lifeの石田ショーキチであったことから、以前よりもロックな作品になることも理解はできるのが、何故いま、この段階で再びパンクスピリットのボルテージを上げるような作品を作ったのか。その理由を話すには彼らのベストアルバムである『RECYCLE Greatest Hits of ZTIPS』について語らないといけない。

「ベスト盤は解散するときに出す」

1999年に出たアルバム『花鳥風月』のインタビューでの一言である。このアルバムはシングルのカップリング曲やインデーズ時代の曲を集めたアルバムであり、ベスト盤はベスト盤でもB面を中心に据えるあたりパンクなバンドとしてのスピッツが見える作品である。しかし、それから1年経たないうちにベストアルバム『RECYCLE Greatest Hits of ZTIPS』がでた。勿論、スピッツが解散したかったわけではなく、メジャー・レーベルが勝手にベストアルバムを出したわけである。この時のスピッツといえば新たなるサウンドを模索しアメリカへ向かい、トム・ロード=アルジのミックスに出会い、マスタリングにスティーブ・マッカーセンという今後のスピッツサウンドの肝となる人物を見つけだした時期であった。いよいよ新しいスピッツがこれから始まろうとしていた最中だったこともあり、彼らの落胆は大きかった。

「本当に解散しようか」

メンバー間で話し合いの場が設けられて、結論、彼らは同じ場所から音楽を発信していくことを決意し、そして出来たのが『ハヤブサ』なのである。

つまりは『ハヤブサ』というアルバムは自分たちを裏切られた人間への反動であり、反骨精神が揺さぶられる状況であったからこそ、スピッツのもつパンクが最大限に引き出されたように感じる。そして、この事件を通して、これから音楽に向き合っていく決意は「メモリーズ・カスタム」でも歌われている。

嵐が過ぎて 知ってしまった 追いかけた物の正体
もう一度 忘れてしまおう ちょっと無理しても

この楽曲は当初シングルとして出されていた「メモリーズ」を文字通りカスタムした曲であるが、この歌詞は「メモリーズ」には無い。つまりはベストアルバムが発売されてからのメジャーレーベルに対しての率直な言葉なのであろうと思う。今までのことは一度忘れて、『ハヤブサ』というアルバムから新たな気持ちで走りだそう。それはこれからも音楽を続けていく彼らの宣言であり、同時にスピッツというバンドが新たに生まれ変わった瞬間でもあるのだ。

あれから15年。今でも、スピッツは第一線で活躍して僕たちに音楽を届けてくれている。あのとき、『ハヤブサ』を生み出さなかったたら、そして本当に解散してたら今のスピッツは存在しなかったであろう。

誰よりも速く駆け抜け愛と絶望の果てに届ける音楽。

ハヤブサ』があるから今がある。

ハヤブサ』があったからスピッツがいる。

www.youtube.com 

 

 

あとがき

スピッツハヤブサ』のレビューどうでしたか。さて、多分読んだ人は誰もが思った「どうしてこのタイミングで15年前の作品をレビューしたのか?」について軽く話をしたいと思います。このブログの管理者でもある、ぴっちさんからの希望もあったので(笑)

僕はこのブログで書く以外にも『ki-ft』ってサイトでレビュアーをやっています。

ki-ft.com

『ki-ft』というサイトはそもそも『岡村詩野音楽ライター講座 京都校』の生徒が中心で立ち上げているサイトなのですが、そのライター講座でスピッツスピッツのプロデューサーの竹内修さんがゲストで来たことがありました。その時に『ハヤブサ』をレビューしようと思ったのですが期限に間に合わず、書きかけのまま放置していました。その後、10月頃にRO69で蜂須賀ちなみさんの『ハヤブサ』のレビューを見て、「なるほど、そう書くか。でも、俺ならこう書くんだけどな」っていう気持ちがあって、もう一度書いたら3000字超える内容になってしまったと。

今時『ハヤブサ』かよって思う人もいるかもしれないのですが、例えばレビューの中でも触れているベストアルバムのような事例は今でもあります。それに対して、「その場に残り『ハヤブサ』を作った」ことはスピッツというバンドとして考えても、メジャーで戦うバンドとして考えても一つの正解に思えて、それも兼ねて文章にしてみました。

さて、来年でバンド結成30年。スピッツがこれからどんな音楽を私たちに届けてくれるか今から楽しみですね。

 

ゴリさん (@toyoki123

ki-ft ダラダラ人間の生活

GOOD ON THE REEL「HAVE A “GOOD” NIGHT vol.50」@日比谷野外大音楽堂

午前中に降っていた雨も止み、多くの人が日比谷野外大音楽堂に集まった。

開場すると指定席はみるみるうちに埋まり、立見の客も大勢いる。この日ステージに立つのはGOOD ON THE REEL。自主企画「HAVE A “GOOD” NIGHT」の記念すべき50回目となる今回のライブを待ちわびたファンの元に、開演時間の17時30分。彼らが姿をみせた。

キラキラとした照明とともにSEが流れメンバーが順に位置につく。そしてこのバンドのフロントマンである千野隆尋が登場すると拍手や歓声がより一層降り注ぐ。

彼らは一曲目に最新のシングルである「雨天決行」を演奏。力強い歌声とサウンド野音に響き渡り、聴く人の胸を打った。その後「ユリイカ」「それは彼女の部屋で二人」などを演奏。その後彼ららしいMCで開場を和ませた。

その後カラフルな照明の中、ゆったりとし涙を誘う曲たちを演奏しメンバーはそれぞれ用意された椅子に座り楽器を持ち替えた。

観客を着席させ、彼らのライブでは珍しいアコースティックでの演奏。バンドスタイルとはまた違い、暖かいサウンドとより一層響く千野の声に涙を流す人もいた。千野はMCで「野音でアコースティックをすることは僕の小さな夢でした」と語り、彼らの曲の中でもゆったりとした3曲を披露した。

 

暖かい空気感の会場はベースの宇佐美による「起立」の一言でまたバンドスタイルに戻り、「雨の音で踊りましょう」と「rainbeat」を披露。その後「シャボン玉」の曲振りでは千野が「みんなが生きている証を見せてください」と叫ぶと、開場の際配られたシャボン玉を観客が吹き始める。メンバーはそれに応えるように音楽を届けた。

 

「最後の曲です。ありがとうございました」という言葉で始まった「シャワー」では曲中赤・青・白のテープが吹き出し会場を大いに沸かせた。

名残惜しいファンたちの歓声とともに退場したメンバーはアンコールの掛け声で再び登場。現在たくさんの曲を制作していると明かし、その中から「砂漠」という新曲を披露した。その後のダブルアンコールに至るまで3時間近く全23曲を演奏したGOOD ON THE REELは日比谷野音での再会を約束し多くの拍手や歓声の中ステージを後にした。

 

現在製作中という彼ら。10年という節目を迎えた彼らが今後どんな音楽を世に送り、どこまで成長するのか。ますます目が離せなくなりそうだ。

 

 

eve